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東京屈指の高級住宅街・田園調布の一角で、石原慎太郎さんは静かに暮らしている。政治から引退して5年、単に余生を送っているわけではない。当時史上最年少の23歳で芥川賞を受賞し社会現象にもなった「太陽の季節」から60年余り、87歳になった今も現役バリバリの作家である。9月には文芸誌に1年間連載した「湘南夫人」を刊行。それは美しい湘南の海を舞台とした恋愛模様にとどまらない。政界の裏まで知り尽くした人の手によるものだけに、マッチョな描写でこの国の行方を憂える場面が印象的だ。
田中角栄元首相をモデルにしたベストセラー小説「天才」を刊行した際、インタビューしてから3年がたつ。久しぶりに慎太郎さんに、今の世の中をどう見ているのか聞きたくなった。
「最近はね、昼は映画ばっかり見ている。執筆は夜だね」。笑顔で迎えてくれた老練の作家は顔色もよく、想像以上に元気そうだった。6年前、軽い脳梗塞(こうそく)を患い、利き腕の左手に障害が残った。しかし作家の命である言語能力は無事だったという。運の強い人である。
<私のような凡人にとって不可解な人である>。かつて慎太郎さんをそう評したことがある。東京都知事を辞する前の2011年2月、文人政治家に「二足のわらじの効能」を尋ねたら、「頭の切り替えに役立って、双方に有益」と即答したものだった。
相変わらず旺盛な執筆活動ですね、と切り出すと、慎太郎さんは「それしか能がないからなあ。僕は熱心な仏教徒でね、法華経の素晴らしさを多くの人に伝えたくて、数年がかりでようやく現代語に訳して、やっと完成したんだ。全28巻。もうじき刊行されますよ」と意気軒高な言葉を返してきた。それも小説の執筆と並行しての作業というから驚かされる。
気になることがあった。「死者との対話」「ある奇妙な小説 老惨(ろうざん)」「死線を超えて」など近年の作品には、「死」を意識した主題が目立つ。なぜなのか?
「年を取ってきたからだよ。若い頃から、友人の江藤淳(評論家。1999年に66歳で死去)に言わせると『石原の作品には死の影が差している』って。僕は肉体派だから、これまでスポーツを含めて肉体を酷使してきたし、非常に際どい行動もしてきた。ヨットレースで何度か死にそうな目にも遭った。でもあまり自分が死ぬ、ということは考えていなかったな」
慎太郎さんの語りは続く。
「この頃は肉体が衰えてくると、『死』はどんなものかなと一生懸命考えるんだ。最後の未知、未来だからね。『future』の日本語訳は『未来』と『将来』の二つあるけれど、『将来』とは自分の意思が働きうる先のことなんだ。でね、死とは将来じゃないんだな。一方的にやって来るもんだから、とにかく甘んじて受け止めるしかないんだよ。だって、体験したことなんてないんだから」
そして、ある小説の一節をそらんじた。<死、死などありはしない。ただこの俺だけが死んでいくのだ>。マルローの名作「王道」の主人公ペルケンのせりふである。「その先にあるのは虚無ですよ。自分で作ったアフォリズム(警句)の一つに『虚無すら実在する』がある。なかなかいいでしょ」。その老成した目には、今の世がどう映っているのだろう。
32年、神戸生まれ。父親の転勤に伴い、北海道・小樽を経て、11歳になる年に神奈川・逗子へ。終戦の年、「海軍兵学校の予備校」と目された県立湘南中学校(現湘南高)へ進んだ。戦後、米兵に街で絡まれ、彼らがしゃぶっていたアイスキャンディーで殴られた。うわさを聞きつけた教頭らから「お前の行動は学校に大きな迷惑を招きかねない」と叱られた。「あなた方は1年前、海軍士官になって、お国のために死ね、と言っていたじゃないですか。悔しくないんですか」。反発する少年に対し、僧侶出身の教師が「今はただ我慢をしよう。戦に敗れたということは、そういうことなのだ」と諭した。
「それを聞いて俺は納得したね。僕は戦争体験があるでしょ。(戦後生まれで「永遠の0」の著者の)百田尚樹君は…
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