ノーベル賞受賞者はどんな子ども時代を送っていたのか。今年のノーベル化学賞に決まった吉野彰さん(71)が、12月10日のスウェーデンでの授賞式を前に毎日新聞の取材に応じ「学校とわたし」について語った。化学に目覚めた子ども時代のエピソードから若い世代へのメッセージまで示唆に富んだインタビューとなった。
ごく普通の子どもでした。姉、兄、妹の4人きょうだい。生まれたのは大阪府吹田市です。当時はまだ竹やぶだらけの地域で、幼いころはカブトムシ捕りやトンボ釣りをして遊んでいました。
化学に興味を持つきっかけを与えてくださったのは、小学3年の時に新任で赴任された女性の先生です。2年間私のクラスの担任でした。化学を専攻していて「化学は面白いよ」「物が化けるから『化学』なんですよ」などと話されていたのを覚えています。4年生の時にファラデーの本「ロウソクの科学」を薦められ、夢中で何度も読みました。ロウソクはなぜ燃えるのか。芯はなぜあるのか。小学生にも何となくわかるようなことが書かれていて面白かったです。これが化学への興味の始まりでした。
遠足で茨木市のキャンプ場に行った時のことも印象に残っています。昼食で飯ごう炊さんの準備をするために石を集めたのですが、持ち上げて運ぶと当然、重い。キャンプ場には小さい川が流れていて、水の中に石をつけて「こうやって運んだら軽いよ」って言ったら、えらく褒められました。「アルキメデスの原理よ」と教えられてね。それがうれしかった。
月刊誌「子供の科学」に夢中でした。付録の実験キットを使い、ちょっとした実験を楽しみました。筒とレンズを組み立てると顕微鏡になりますよ、とか。乾電池を作るキットも印象に残っています。亜鉛の缶と黒い二酸化マンガンがあって、そこに電解液を注いだら電位差が生じ、電気が流れる仕組みでした。
中学ではやはり化学の分野が得意科目になりましたね。「ロウソクの科学」に始まって、化学に関心を持ち、得意科目になって、化学の道に進む流れになったと思います。
夏休みには工作の宿題がありました。自分で考えて物を作りなさいと言われ、いろんな工夫をしながら輪ゴムで動く船を作りました。かまぼこの板を切って船の形にして、動力源として輪ゴムを5本くらいグルグルとプロペラに巻きました。元に戻る際にプロペラが回って前に進む。たいしたことではないのですが、一生懸命、工夫しました。2~3メートルをゆっくり1、2分で進みました。物作りに興味を持ったのもその時期ですね。
府立北野高校時代は、2年生の時全員…
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