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社説

中曽根元首相が死去 戦後政治の針路を変えた

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 中曽根康弘元首相が101歳で死去した。敗戦を機に官僚から政治の世界に身を投じた。戦後保守政治の最後の生き証人だった。

 1982年に首相に就いた。日本は当時世界第2位の経済大国となり、戦後のピークに立っていた。だが、政権発足に際して「戦後政治の総決算」のスローガンを掲げた。

 内政では、行政、税制、教育の3改革を目指した。このうち、行革で大きな成果を残した。

 なかでも、特筆すべきは国鉄改革だ。累積債務が37兆円を超え、国の財政を圧迫する大きな元凶だった。

 官主導のシステムは戦後三十数年を過ぎ、行政の肥大化という問題を招来した。改革は時代の要請でもあった。米国や英国では、民間の自由な活力に任せて経済成長を促す「新自由主義」が潮流になっていた。

 不動産バブルへの道を開いたとの指摘もあるが、民間活力重視の流れは、小泉純一郎、安倍晋三両内閣の経済政策に引き継がれている。

 47年に衆院議員に初当選した中曽根氏は吉田茂元首相を批判する急先鋒(せんぽう)だった。吉田氏の政策が米国に依存しすぎると判断したからだ。

 保守本流の吉田氏に対し、中曽根氏は自らを「革新保守」と規定した。それが首相として、単に経済大国であることをよしとせず、安全保障を含む国際的な役割の拡充を模索することにつながった。

 米国への武器技術供与を「武器輸出三原則」の例外扱いとし、日本列島を旧ソ連に対抗する「不沈空母」になぞらえ物議を醸したのもこうした模索の一例だろう。従来、「対米従属」を批判していたが、レーガン大統領との間で「ロン・ヤス」関係を築くことにも成功した。

 一方で、85年8月15日には、靖国神社を初めて公式参拝した。しかし、中国などの猛反発に配慮し、翌年以降は参拝を見送った。

 戦後占領政策から主体性を回復するとして、憲法改正を早くから掲げ、「青年将校」などと呼ばれることもあった。だが、首相在任中はその時にあらずとして無理押しをしない柔軟性も見せた。

 政治の生の変化に対応する姿勢は時に「風見鶏」と皮肉られたが、戦後政治に対し、新たな針路をもたらしたのは確かだ。

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