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東京へ ともに歩む

毎日新聞

クイックシルバーの日本チームマネジャーを務める吉村裕次さん。左のポスターは五十嵐カノア=東京都内で2019年10月18日午後2時7分、村上正撮影

Together

日本サーフィンのエース 五十嵐カノアを支えるマネジャー

 「ファミリーのような存在です」。東京五輪で初採用のサーフィンで出場確実な五十嵐カノア(22)=木下グループ=が全幅の信頼を寄せるのは、アクションスポーツブランド「クイックシルバー」。10年間にわたり競技活動をサポートしてきた。日本チームマネジャーの吉村裕次さん(50)は「国内でサーフィンはまだ娯楽のイメージが強い。カノアと一緒にメジャースポーツへと発展させたい」と語り、ともに世界を目指してきた歩みを振り返った。【村上正】

     五十嵐は米国・カリフォルニア育ち。11歳で全米アマチュア大会年間30勝の最多記録を樹立すると、プロツアー参戦を目指し、父勉さん(55)がクイックシルバーに電話して息子を売り込んだ。サーフィンはゴルフやテニスのようにプロツアーが確立しているが、競技が盛んな欧米など世界各地で大会が開催されるため、渡航、宿泊など遠征費がかかる。太鼓判を押したのは世界王者に11度輝いたケリー・スレーター(米国)。「カノアは間違いなく、将来性がある」。スレーターと同じ「グローバルチーム」としてのスポンサー契約が決まった。

    多彩な技で観客を魅了した五十嵐カノア=宮崎市で2019年9月13日、徳野仁子撮影

     「元気良く、ちゃめっ気たっぷりで、全く物おじしませんでした」。吉村さんは、当時の様子を鮮明に覚えている。2009年春、体のサイズに合わせたウエットスーツを作るため、11歳の五十嵐は東京の本社を訪れた。スーツの袖を膨らませて楽しげに遊ぶ姿。身長、体重、首回り、腕の付け根など約50カ所を計測し、オリジナルスーツを作った。

    世界最高峰のチャンピオンシップツアーを転戦し始めた五十嵐カノア(右)と吉村裕次さん=オーストラリアで、吉村さん提供

     吉村さんは高校時代にサーフィンを始めた。「自然とマッチしながら自らの力で進むことができる」。波に乗るスピード感が新鮮だった。アパレル会社に約10年勤めたが、サーフィンへの思いは強く、35歳でクイックシルバーに転職。ウエットスーツやラッシュガードの商品開発・デザインの担当になった。その後、五十嵐が帰国した際のスケジュール管理やPR活動を担うようになり、大会にも同行している。

    「GO KANOA」と書かれた小旗を掲げ五十嵐カノアを応援する観客=宮崎市で2019年9月13日、徳野仁子撮影

     本格的に世界を転戦し始めた五十嵐は、16年にアジア勢初となる世界最高峰のチャンピオンシップツアー(CT)に参戦。「多くの経験をクイックシルバーが与えてくれています」と感謝の気持ちを忘れない。世界屈指のサーファーとして階段を上り始めたその夏、サーフィンは東京五輪の新種目に決まった。日米両国籍を持ち、国際大会に米国選手として出場したこともあるが、17年に日本代表として五輪を目指すと宣言。18年に愛知県田原市であったワールドゲームズ(WG)で日本選手として出場し、銀メダルを獲得した。今年5月のCT第3戦(インドネシア)では初優勝し、日の丸を掲げて喜んだ。

     成長を見続ける吉村さんにとって、感慨深い出来事がある。9月に宮崎市で開かれた東京五輪出場権を懸けたWG。凱旋(がいせん)した五十嵐の登場に、大勢のファンが砂浜を埋め尽くした。会場で配った「GO KANOA」と書かれた小旗は、取り合いになるほどの盛況ぶりだった。

     「あの子がついにここまできたか」。強い日差しが照りつけるビーチで、サングラスの奥の目頭は熱を帯びた。国内大会で日本人がここまで観客を集めたことは見たことがない。海から上がると、サイン攻めにあった。

     競技のイメージは変わりつつある。五輪の新種目として注目を集め、スポンサーを獲得する日本選手は徐々に増えつつある。代表格の五十嵐は大手企業の広告に採用された。確かな手応えを感じる吉村さんは「一過性のブームで終わらせてはいけない」と話す。ビッグウエーブに乗って2020年を迎える中、視線はその先を見据えている。

    村上正

    毎日新聞東京本社運動部。1984年、神戸市生まれ。2007年入社。舞鶴支局、神戸支局を経て、大阪本社社会部では府警などを担当。東京運動部では17年4月から水泳やサーフィンを担当。16年リオデジャネイロ五輪を取材した感動から、長女に「リオ」と命名した。