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東日本大震災から2カ月がたった2011年5月。東京電力福島第1原発から約32キロの距離にある福島県南相馬市の田に、渡部三雄さん(60)は膝をついた。「放射能が入ってるのかな。目に見えないんだもんな」。土を握り、絞り出すようにつぶやいた。
渡部さんは父から7ヘクタールの水田と70アールの畑を受け継いだ、4代続く専業農家。原発事故を受けて山形県で3週間避難生活を続けた後、自宅に戻った。ナスの苗3000本は枯れ、キャベツは虫食いで穴だらけだった。事故被害の全貌がつかめず、水田には水を張ることができない。カエルの鳴き声が聞こえない茶色い大地を前に、「四季でつながる、農家の作業の輪が途絶えた」と立ち尽くした。
そんな時、全村避難をした福島県飯舘村の特産・トルコギキョウを育てないかと、声を掛けられた。切り花として、お盆に出荷する花だ。育てた経験はないが、津波で亡くなった人の供養にもなる。9000本の苗を譲り受けた。
「咲くかな、咲くかなと毎日…
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