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零戦施設、飛行場跡…戦争遺跡「どうして壊したの?」 保護に自治体及び腰

2001年5月に重機で解体される掩体壕(えんたいごう)=宮崎県日向市で、緒方博文さん撮影

 各地に残る太平洋戦争などの戦争遺跡について、都道府県による全容把握が進んでいない実態が毎日新聞の調査で明らかになった。太平洋戦争の開戦から8日で78年となり、戦争の実相を伝える「物言わぬ証人」も、老朽化や開発などで風化や解体が進んでいる。調査や保存を求める声が上がる中、都道府県へのアンケート結果からは、戦争遺跡の定義や評価基準がはっきりしないなどの課題も浮かび上がった。【平川昌範】

中学生の問い「沖縄ではもっと大事に」

 「どうして壊してしまったんですか」。宮崎県日向市の公民館職員、緒方博文さん(63)は今年7月、市内の戦争遺跡を見学に訪れた沖縄県の中学生から飛び出した言葉が頭から離れない。

 同市にあった旧日本海軍の富高飛行場は、太平洋戦争の口火を切った真珠湾攻撃に出撃した飛行機が秘密訓練をしたとされる。同市の財光寺地区には飛行機を格納する掩体壕(えんたいごう)が三つあったが、道路工事や消防施設の移転などで2004年までにすべて解体された。わずかに残るコンクリートの残骸を前に、中学生は「沖縄では戦争遺跡がもっと大事にされている」と話したという。

 緒方さんは日向市で長年、文化財の調査や保存を担当してきた。しかし、古代遺跡などと比べ、戦争遺跡の調査は優先度が低くなりがちだった。掩体壕は文化財に指定されておらず、市が調査に乗り出したのは解体が決まった後だった。緒方さんは保存の道を探ったが、土地所有者の理解も得られないために実現しなかった。

 各地に残る掩体壕は、格納する飛行機の形状に合わせた開口部が多かった。だが、財光寺地区にあった掩体壕の開口部は、さまざまな形状の飛行機が訓練していた富高飛行場に対応して最大幅約16メートルの珍しいアーチ状だった。建造年は不明だが、解体したコンクリートには木材や大量の砂利が混じり、資材不足だったこともうかがわせた。

 緒方さんは、掩体壕が音を立てて解体されていく様子を最後まで見ていられなかったという。「私には後世に伝える責任があった。もっと早く文化財として評価をしていれば、解体されずに済んだのではないか」

 零戦などのエンジン製造を担った東京都武蔵野市の「中島飛行機武蔵製作所」は戦後、老朽化して次々に取り壊された。最後まで残っていた鉄筋コンクリート2階建ての旧変電室も、隣接する都立公園の拡張のため、戦後70年の2015年に解体された。

 戦時中、米軍機から度々激しい爆撃を受け、動員されていた学徒や周辺住民ら200人以上が犠牲になった悲惨な歴史がある。元学徒らで作る「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」は旧変電室の保存を求めたが、実現しなかった。都の担当者は「建物は老朽化し、文化財にも指定されていない。残す必要性がなかった」と振り返る。

 近くに住む同会の事務局長、秋山昌文さん(84)は戦時中、空襲警報が鳴る度に母に手を引かれて避難したことを覚えている。秋山さんは「忘れてはならない歴史を継ぐために残すべきものがあるはず。行政は住民の思いを受け止め、しっかりした調査や保存を進めてほしい」と話した。

自治体「定義付け難しい」 国は具体例示さず

 今回のアンケートでは、「定義があいまい」として多くの自治体で調査が進んでいなかった。ある自治体の担当者は「戦時中に不足した飛行機の燃料を取るために幹に傷がつけられた松の木や、焼夷(しょうい)弾が落ちた民家の焦げた跡も戦争遺跡なのだろうか」と対象を絞る難しさを強調した。

 1996年から近代遺跡の全国調査に着手した文化庁も、当時、各都道府県に情報提供を…

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