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東京へ ともに歩む

毎日新聞

夏季五輪で初めて衛星中継された1964年の東京大会開会式。聖火台点火や選手宣誓の後、多くのハトが放たれた=東京都新宿区の国立競技場で1964年10月10日撮影

オリパラこぼれ話

日本の五輪放送 1964年東京大会で「宇宙中継」

 1964年10月10日、澄み渡る青空の下、アジア初の東京五輪の開会式が始まった。オリンピック・マーチに合わせて各国の選手団が入場し、最後に日本選手団が姿を見せる。聖火台点火、選手宣誓。そして、多くのハトが放たれ、航空自衛隊のアクロバット飛行チームがスモークで五輪のマークを空に描いた――。この模様は夏季五輪で初めて衛星を使って中継され、NHKの映像が世界に届けられた。

     「20世紀放送史」(日本放送協会編集・発行)によると、東京五輪の映像は伝送中に画質を落とさないように、音声と分けて衛星「シンコム3号」を経由して米国に届けられた。音声は太平洋海底ケーブルで送られ、映像と音声を合わせる方法がとられた。受信された五輪放送は全米で放映されたほか、ビデオテープに録画してヨーロッパなどにジェット機で運ばれ、21カ国で放送された。NHKは宇宙中継(現衛星中継)と呼んで配信した。

     米国の新聞社は「日本からの映像は非常に鮮明で乱れはまったくなかった」と報じた。ベルギー放送は、なぜその日のうちにヨーロッパで見られるのか図解入りで説明した。NHKは60年ローマ大会で初めて映像を遠距離伝送した。16ミリフィルムに毎秒8コマで記録し、1コマにつき30秒かけて東京へ伝送。2分たらずの大会映像を国内に放映した。次は通信が可能であることが判明していた衛星を使い、テレビの国際中継を念頭に研究を進めてきた結果、東京大会で実現したという。53年にテレビ本放送を始めてから12年目のことだった。

    ベルリン五輪ではNHKのアナウンサーらが初めて実況放送をした=1936年8月1日撮影

     日本で五輪が初めて放送されたのはNHKのラジオで、32年のロサンゼルス大会だった。大会には日本から40年の東京五輪誘致(後に返上)に向けて約130人の選手が参加していた。当初は米国の放送局からの実況放送を予定していたが、直前に米国の五輪委員会が「入場券の売れ行き」を懸念して、放送局に高額放送権料を要求。両者の話し合いはまとまらず、米国内の中継が許可されず、日本への中継もできなくなった。そのため考え出されたのが、あたかも実況しているように伝える「実感放送」だった。アナウンサーが競技を観戦してメモに取り、放送局のスタジオから実況さながらに競技の様子を再現するという手法。聴取者には放送を通じて実況ではないことを知らせていたという(NHK放送文化研究所「放送研究と調査」2017年5月号)。

     4年後の36年のベルリン大会でようやくラジオによる実況放送が実現する。日本は200人以上の選手団を派遣。金メダル6個、銀メダル4個、銅メダル10個と大活躍した。女子200メートル平泳ぎで金メダルを取った前畑秀子選手の決勝の実況は、NHKのアナウンサーが「前畑ガンバレ」と連呼して有名になった。

     来年開催の東京大会は、NHKや民放が多くの時間を放送に割き、テレビの高画質サービスなどで視聴者を楽しませるほか、インターネット配信も行われるだろう。五輪放送はラジオからテレビ、インターネットへと広がりを見せている。【関根浩一】

    関根浩一

    東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。