被告の心 手紙で問い続ける最首さん 障害ある娘とともに
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2016年7月に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件の裁判員裁判が来年1月に始まる。殺人罪などで起訴された元同園職員の植松聖被告(29)は障害のある人たちを排斥する考えをいまだに変えていない。この事件を私たちはどう考えていけばいいのか。さまざまな分野の人たちを訪ねて事件を見つめ直したい。
初回に紹介するインタビューは和光大名誉教授の最首(さいしゅ)悟さん(83)。知的障害のある三女星子(せいこ)さん(43)の存在を「生きている重し」と表現する。手紙のやり取りを続ける植松被告は、その目にどう映るのか。【国本愛】
いつか起きるかもしれない
――事件が起きた時、どのように受け止めましたか。
最首さん 「来るべきものが来た」と思いました。それは、時間とお金を最大の価値とする経済合理主義の考えが進む中で、社会全体にじわじわと「排除の雰囲気」が広がっていると感じていたからです。例えば00年代前半の、石原慎太郎元東京都知事が高齢女性を侮蔑する発言を繰り返した事例などがあります。また、ネット上では事件後、植松被告の論理に賛同するような意見も少なからずみられたとも聞きました。相模原の事件が起きる前から、社会には役に立つかどうかで人の命の価値を判断し、差別する雰囲気がすでにあったのです。ですから正直なところ、このような事件は「いつか起きるかもしれない」という思いがずっとありました。
突然の手紙
――昨年4月、植松被告から突然、手紙が送られてきたと聞きました。
最首さん 事件の後、私は新聞の論評の中で、彼のことを「社会が作り出した病」と指摘しました。経済合理主義の風潮が進み、それによって生み出された無縁社会で孤立してしまったのが彼だと思ったからです。植松被告はある日突然、手紙をよこしてきました。そこには「最首さんのお考えを拝読させていただきましたが、現実を認識しつつも問題解決を目指していないよう映ります」とありました。さらに「借金を使い続け、生産能力の無い者を支援することはできませんが、どのような問題解決を考えていますか」とも。私はダウン症で知的障害のある娘の星子と暮らしていますが、彼女のことも知った上で「『心失者』と言われても家族として過ごしてきたのですから情が移るのも当然です」と書かれていました。
薄っぺらい自分の意見にしか耳を傾けない被告
――植松被告は重度の知的障害がある人を意思、心がないと決めつけ、「心失者」と表現していました。
最首さん 「心がない」なんて、決めつける証拠がないですよね。娘の星子は、自分一人では食事も排せつもできず、鳥のさえずりのような声などはありますが、意味のある言葉を発することはありません。ただ、昔は海やプールに連れていき、波が来ると、声を上げるかのように笑いました。自宅では、音楽を聴くと落ち着くのでいつも流しています。童謡などはあまり聴かず、クラシックジャズやアップテンポな曲を好むようで、妻は「星子はインテリだから」と言います。また、今は週に1~2回、デイサービスを利用して外出しますが、その日の夜は朝まで一度も起きずにぐっすり眠ります。外出してもただ横になっていることが多いのですが、それでも外部からいろんなことを感じ取って、心が移り変わっているんだと思います。言葉で伝えることができなくても、ちょっとした表情やしぐさで受け手が心を感じ取ることはできます。彼(植松被告)は全く観察していないんだと思います。たとえ私たちが考えられる全ての意思表示手段を失ったとしても、その人は本当に心がないといえるのか。彼は議論もしません。とても単純で薄っぺらい自分の意見にしか、耳を傾けない。
彼は本気で取り組んだことはない
――植松被告は記者との接見で、園での介護の仕事を「楽だった」と話していました。一方で、最首さんへの手紙の中では「未来ある人間の時間を奪う介護は間違っております」とつづっています。
最首さん 介護が楽だなんていえるのは、彼が園でまったく介護の仕事をしていなかった証拠です。介護経験がある人は誰も楽だなんて言いませんし、彼は本気で介護労働をやって疲れ果てたことがないのでしょう。本気で取り組んだことがないからこそ、意思が通じ合う喜びややりがいも見いだしたことはない。ところが、頭の中では、介護はつらそうだ、大変そうだ、と想像し、恐れているのだと思います。彼には「他人の客観的な物差しで、つらさや苦しみは測れない」ということを伝えたいと思っています。例えば、労働で疲労困憊(こんぱい)したというのも、自分の…
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