首里城の瓦は本来「赤」か「黒」か 戦前の“カラー”写真は手彩色 ネットの議論に考古学者の見解は

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火災の前の首里城。鮮やかな赤の瓦ぶきだった=那覇市で2015年3月3日、本社ヘリから須賀川理撮影
火災の前の首里城。鮮やかな赤の瓦ぶきだった=那覇市で2015年3月3日、本社ヘリから須賀川理撮影

 10月末の火災で主要な施設が焼失した那覇市の首里城。火災直後から「かつて正殿の屋根瓦は赤だったのか、黒だったのか」という論争が起きている。沖縄といえば、赤い瓦の町並みで知られ、焼失前の正殿の瓦も鮮やかな赤だったが、戦前に屋根が黒かったことを示す写真や映像を根拠に「黒」で復元すべきだという声がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で広がっているのだ。赤なのか黒なのか。長年沖縄の古瓦を研究してきた上原靜・沖縄国際大教授(考古学)に聞いた。【大村健一/統合デジタル取材センター】

 10月31日未明に発生した火災で、那覇市北東部の丘の上にある首里城は正殿や南殿、北殿が全焼するなど7棟9施設が被害を受けた。首里城は過去に少なくとも4回、焼失したとされる。太平洋戦争末期の1945年5月には沖縄戦で焼け落ち、しばらく琉球大学のキャンパスとして利用されていたが、大学移転後に沖縄の本土復帰20年を記念して92年に再建された。

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