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袴田元被告のローマ教皇ミサ参列はなぜ実現したのか

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東京ドームでのミサに出席する袴田巌さん(左)と秀子さん=関係者提供
東京ドームでのミサに出席する袴田巌さん(左)と秀子さん=関係者提供

「袴田事件」袴田元被告のミサ参列の背景

 11月に来日したフランシスコ・ローマ教皇が東京ドームで執り行ったミサに、1966年の「袴田事件」で死刑が確定し、2014年の再審開始決定で釈放された袴田巌元被告(83)が招待された。世界に死刑廃止を呼びかける教皇の来日を機に、日本の死刑廃止を目指す日本弁護士連合会と、袴田さんの姉秀子さん(86)がそれぞれのルートで教皇側に働きかけ、ミサ参列が実現した。袴田さんの再審請求は現在、最高裁の判断を待つばかり。今回のミサ参列には、死刑廃止に向けた機運を高めるとともに、世界的影響力のある教皇との関わりを示すことで再審請求を動かしたいという両者の強い思いがあった。【静岡支局・古川幸奈】

教皇との面会は実現せず

 真新しい黒のスーツに蝶(ちょう)ネクタイ、帽子姿の袴田さんが11月25日午後、秀子さんに付き添われて東京ドームに姿を現した。オープンカーに乗った教皇の登場に、ドームが大歓声に包まれると、アリーナ前方の席に腰を下ろしていた袴田さんは立ち上がり、目の前を通る教皇の方をじっと見つめた。

 ミサが行われた約3時間、袴田さんは時折笑みを浮かべながら、終始リラックスした様子だった。聖歌が流れる中、祭壇で祈りをささげる教皇が映し出されたスクリーンに見入る袴田さんに、秀子さんは「巌が無事に参加できてよかった」と胸をなで下ろした。しかし、教皇が演説で死刑制度に触れることはなく、袴田さんと個別に接触することもなかった。

救いを求めカトリック信者に

 袴田さんは66年に静岡市(旧静岡県清水市)のみそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして、強盗殺人容疑などで逮捕・起訴された。取り調べに対して当初は否認したが、逮捕から20日目に「自白」した調書を取られた。その後、静岡地裁の初公判で否認に転じたが、地裁は死刑を言い渡し、80年に最高裁で1審判決が確定した。

 「どうか一日も早く歴史の審判を下してください。真理に基づく再審開始決定をお導きください。私に対する冤罪(えんざい)は来たるべき再審の場で鮮明にされることを確信します」。袴田さんが獄中で書いた日記や手紙をまとめた書簡集には、82年に収容先の東京拘置所で記した当時の心境が残されている。

 この頃から、袴田さんは拘置所内で神父の教誨(きょうかい)を受けるようになり、面会などでも神にすがるような言葉を頻繁に使うようになった。「古今東西、宗教が人間を支えた部分は大きい。それは謙虚な気持ちで合掌し、信ずるものを得るところに大きな救いがあるからだ」。袴田さんは84年10月の日記で、信仰する理由をこうつづっている。そして、同年12月24日に洗礼を受けてカトリック信者になった。

 袴田さんを支援する浜松市のNPO代表理事、安間孝明さん(62)は「無実を訴える中で死刑が確定し、この世に少しの希望も持てなくなった。だからこそ、目に見えない神に望みをつないだのでは」と推測する。

 だが、拘置所で死刑執行を待つ日々の中、袴田さんの精神は次第に不安定になっていった。達筆で語彙(ごい)が豊富だった手紙は字が乱れるようになり、90年代に入ると秀子さんの面会も拒むようになった。

再審請求の結論が二転三転

 弁護団は81年、第1次再審請求に乗り出した。犯行現場のみそ製造会社のみそだるの中から見つかった犯行時の着衣とされるズボンが、袴田さんのサイズに合わない――などと主張したが、08年に最高裁で再審を認めない決定が確定した。

 しかし、静岡地裁は14年3月、第2次再審請求に対して正反対の結論を導く。弁護側のDNA型鑑定の結果など…

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