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公文書を「国民共有の知的資源」とうたう管理法の理念が、あまりにも軽んじられている。
「桜を見る会」の招待者名簿廃棄問題は、安倍政権が公文書管理の制度を恣意(しい)的に運用している疑いを深めた。ポイントは二つある。
まず、内閣府は5月、共産党議員から資料請求を受けた直後に今春の開催分をシュレッダーにかけていた。公文書管理の指針は2年前の改定で、保存期間を1年未満とできる軽微な文書の種類を定めた。内閣府はこれを根拠に名簿を廃棄した。
だが、他の省庁は招待者名簿の基になる省の推薦者名簿を1年以上保存している。翌年以降の名簿作成などに必要だからで、招待者名簿だけがすぐに廃棄されるのは不自然だ。
もう一つは名簿の電子データの削除だ。削除後も最長8週間は外部媒体にバックアップデータが残る仕組みで、議員の請求を受けて復元できた可能性もあるが、そうしなかった。菅義偉官房長官は「バックアップデータは組織で共用されておらず、行政文書ではない」と説明した。
だが、誤廃棄などに備えて組織で保管してあるものなのだから、行政文書と解釈すべきだ。
疑惑の核心となる公文書が廃棄されたり、なくなったりするパターンは、安倍政権で繰り返されてきた。森友学園に国有地を格安で売却した経緯を記録した文書もそうだった。
その反省から指針を改定し、1年未満で廃棄できる文書を厳しく指定したはずだ。それなのに、内閣府はこの改定を機に名簿の保存期間を1年未満にしてしまった。廃棄を正当化するのに制度を使ったとしか見えない。法の理念が改定前よりねじ曲げられている。
招待者名簿は省庁推薦分のほか、安倍晋三首相ら政治家の推薦分を含む。すぐに廃棄したのは、政治家が誰を推薦したのか確認できなくするための官僚の配慮ではないか。
この傾向は、安倍政権下で官邸が幹部官僚人事を握るようになったことと無関係ではあるまい。公文書問題は、官僚が常に政治家の顔色をうかがう政権の体質を象徴している。
公文書は本来、国などが将来まで国民への説明責任を果たすために保管される。これ以上、法を骨抜きにさせないための議論が必要だ。
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