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阪神大震災からまもなく25年。災害が人の心に残したものは、時に前景に現れたり、後景に退いたりしつつも消えることはない。絵画を通して改めて感じたのは、原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)で開催中の本展を見たからだ。
視覚と絵画の関係を追究し続ける画家、長沢秀之(1947年生まれ)が2015年に始めた対話「私が生まれたとき」シリーズの神戸編を展示する。まず土地の住人に「私が生まれたとき」で始まる文章と、関連写真を提供してもらう。その写真を基に人物の顔や風景のドローイングなどを描き、さらにこのドローイングを基に油彩画や写真を制作する。
ドローイングは、例えば人物の顔のパーツが消えていて、生々しい感触の一方、鮮明に思い出せない記憶の断片のようだ。特に油彩画の場合は表面に点描のような短い線が重ねられ、すぐに像がつかめない。しかしながら、私的な思い出がつづられた文章を読み、立つ位置を変えつつ見つめると、基層に震災が見え隠れするのが分かる。
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