「説明責任」という言葉が日本の政治で日常的に使われ始めたのは、情報公開法成立(1999年)の数年前からだった。
政府の審議会が96年にまとめた同法の要綱案には既に「政府は諸活動について説明責任(アカウンタビリティー)を負う」とある。「説明責任を果たす」と「情報を公開する」は連動していたのだ。 当時、よく引用されたのは論語の「由(よ)らしむべし知らしむべからず」との一節だ。転じて為政者は民を従わせればよく、その道理を民に分からせる必要はない、との意味。そんな「お任せ政治」を変えようという機運があった。
20年以上もたってこんな話を書くのが悲しい。安倍晋三首相は本気で「由らしむべし」の政治が良いと考えているのではないか。
何か不祥事があると「それぞれが説明責任を果たすべきだ」と口にするが、毎回、言いっぱなし。その場しのぎの口実になっている。説明責任などと言う以前に、要するに説明ができないのだ。
政府の情報公開は当然、公文書の保存が大前提となる。ところがその公文書を勝手に捨て、改ざんまでするのが今の政権だ。
「桜を見る会」もそう。しかも首相は1日放送された民放インタビューで、招待者名簿を早々に廃棄したとしている点について「個人情報だから残っていると流出する危険性がある」と語った。
これも2003年の個人情報保護法成立前から「個人情報保護を理由に、政府の情報が隠される恐れがある」と指摘されていた。その懸念が現実になっている。
首相や妻昭恵氏が個人的に利用した疑いが濃い今回の名簿が「表に出ては都合が悪い」と考えたから廃棄したと言っているに違いないと多くの人は見…
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