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「裏山を見せてもらってよかですか」。2019年12月上旬、佐賀県武雄市の集落に迫る山を登山靴の男性が歩き回っていた。4カ月前に起きた豪雨で土砂崩れが発生し、赤茶けた崖がむき出しになっている。再び崩壊する恐れがないか、気になる場所を一つ一つ点検していく。
男性は「おもやいボランティアセンター(VC)」(武雄市)を運営する鈴木隆太さん(44)。「おもやい」は地元の方言で「一緒に」という意味だ。「最後の一人の復興まで見届けたい」。名古屋市出身の鈴木さんが、そう決意した原点は阪神大震災だ。
予備校生だった1995年1月、阪神大震災が起きた。ボランティアをするため単身で被災地に向かい、3月からは神戸市内の小学校の避難所に泊まり込むようになった。当初は何をすればいいか分からなかったが、「一日一善やで」と年配の女性に声を掛けられ、まず被災者の横に座ることを心がけた。
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