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毎日新聞

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大けが乗り越え二人三脚 メダル期待の飛び込み19歳三上と安田コーチ

 日本飛び込み界で五輪のメダルを獲得したダイバーはいない。2020年、その期待を集める19歳の三上紗也可(米子DC)。東京五輪代表に決定したものの、道のりは順風満帆ではなかった。けがが多く、高校2年夏には飛び板に頭をぶつけて記憶障害になるなど、選手生命を危ぶまれたこともある。度重なる試練は、コーチの安田千万樹(ちまき)さん(49)とともに乗り越えてきた。出会いから10年。二人三脚の歩みを追った。【村上正】

    水泳世界選手権の女子3メートル板飛び込み準決勝、三上紗也可の1回目の演技=韓国・光州で2019年7月18日、宮武祐希撮影

     「今は言葉が見つからない……」。安田さんは記者が集まる取材エリアで開口一番、興奮気味にそう語った。夢の五輪代表。韓国・光州で開かれた19年7月の水泳世界選手権で、三上は女子3メートル板飛び込み5位と躍動した。決勝は5回の演技すべてでノーミス。60点台をそろえ、12位以内とする東京五輪出場条件を軽々と飛び越えたのだ。プールサイドでガッツポーズを連発し、想像以上の出来栄えに喜びを隠せない安田さんは新たな「夢」を口にする。「本気でメダルを狙うように、歩んでいってもいいのかな」

     安田さんは39歳の時、小学4年生だった三上の指導を始めた。第一印象を「不器用でまるで暴れ馬のようだった」と振り返る。力強く踏み切るジャンプ力はずば抜けていたが、その力を調整する能力に欠け、けがに泣かされ続けた。小中学生時代は腰椎(ようつい)分離症になり、数カ月練習できないこともしばしば。それでも安田さんは素質を見込み、焦らずじっくり、将来のオリンピアンとして育ててきた。「五輪出場は私の夢であり、いつからか三上の目標となり歩んできた」。そこまで五輪に懸けるワケは現役時代にあった。

    小学5年の三上紗也可(右)とコーチの安田千万樹さん=安田さん提供

     1996年アトランタ五輪の国内代表選考会。25歳の安田さんは男子3メートル板飛び込みを制したものの、五輪切符に手が届かなかった。当時の日本代表は男女で計3枠。日本水泳連盟が設けた派遣基準の突破率で男子高飛び込みの寺内健(当時15歳)ら他種目の3選手に及ばず、僅差の4番手で出場を逃した。

     翌年の国体を最後に引退した。故郷の鳥取県米子市に戻ると、高校の体育教師の傍ら、自ら育った飛び込みクラブ「米子DC」で指導を始めるようになった。そこで三上と出会う。寒冷地の米子では6月から約3カ月しか飛び込み台のある屋外プールは使用できない。屋内プールで飛び込むため2週間に1度、自らハンドルを握り車で片道約5時間かけ、三重県鈴鹿市まで出かけた。

    「神様からのお告げだと思った」

     そんな教え子との夢の序章に、突然の悲劇が襲う。17年7月、高校2年の三上は高知市で開かれた大会で、高難度の前逆宙返りの演技をした際、後頭部を飛び板にぶつけた。病院で頭を十数針縫う大けが。意識はあり、受け答えはしっかりしていたものの、会計を済ませ病院を後にしようとしていた時だった。三上がつぶやいた。

     「私、今日、何しましたっけ」

     「頭を打って、病院に来ているんだよ」

     安田さんはそう説明したが、再び5分後に三上は「何しましたっけ」。同じ質問を3度繰り返した。慌てて医師に事情を説明して再診察を受けると、健忘症と診断され1日入院した。「なぜ寝ているんですか?」。三上は病床でも同じ質問を繰り返した。

     「これ以上指導する自信がない」。責任を感じた安田さんは悩んだ。競技レベルが上がるにつれ、けがとは常に隣り合わせだが、競技生活は人生のごく一部だ。その後の生活に支障が出てからでは取り返しがつかない。

     一方、三上には頭を強打した瞬間の記憶だけが残っていなかった。けがへの恐怖心はほとんどなく、意欲に満ちあふれ、1週間ほどでプールに戻ってきたのだ。「安田先生に心配を掛けて申し訳ない気持ちだった。夢の途中で諦めるわけにはいかない」。その姿を見た安田さんも再びプールサイドに立った。

    水泳世界選手権の女子3メートル板飛び込み決勝で、5回目の演技を終えた三上紗也可(右手前)を笑顔で迎える安田千万樹コーチ=韓国・光州で2019年7月19日、宮武祐希撮影

     五輪の飛び込みは、固定された高さ10メートルの飛び込み台から飛び込む「高飛び込み」と、弾力性のある高さ3メートルの飛び込み板から跳ね上がって飛び込む「板飛び込み」がある。三上は両方を飛び続けてきたが、転機が訪れる。18年5月、高飛び込みの試合で、入水時に左肘の靱帯(じんたい)を損傷したのだ。「神様からのお告げだと思った」(安田さん)。10メートルの飛び込み台からの高飛び込みは、バランスを崩せば入水時に水圧で体へ大きな負担がかかる。けがの多い三上の将来を考え、板飛び込みに専念することを決めた。

     「けがの功名」とはこのことか。種目を絞ったことで力強い踏み切りからの入水に磨きが掛かる。3カ月後のジャカルタ・アジア大会で4位に入ると、東京五輪出場を目指し、2人は競技に専念する道を選んだ。安田さんは16年から教員の立場を離れ、鳥取県の東京五輪強化事業として競技指導に専念できる体制を整えてもらった。三上の遠征や合宿の費用も同事業から支援を受ける。19年春の高校卒業後は、大学進学を先延ばしし、競技に集中できる環境を選んだ。

     五輪切符を手にした2人が狙う新たなターゲットは東京五輪の表彰台。秘策はある。世界選手権3位との差は44点。最終5回目の前宙返り2回半1回ひねりに、さらに1回ひねりを加える大技への挑戦だ。世界でも演技できる選手は少ない。三上の完成度はまだ50%だが、安田さんは「恐怖心を取り払えば、飛べる力は十分ある」。つま先の伸ばしや、水際の精緻さを磨いて得点を上積みすれば、メダル獲得も視野に入る。

     2020年の五輪イヤーが幕を開け、2人はオーストラリアで約3週間の強化合宿を行う。「自国開催の五輪でなんとしてでもメダルをつかみ取りたい」。安田さんの言葉には熱がこもる。壮絶な日々を送ってきた2人の悲願達成に期待したい。

    村上正

    毎日新聞東京本社運動部。1984年、神戸市生まれ。2007年入社。舞鶴支局、神戸支局を経て、大阪本社社会部では府警などを担当。東京運動部では17年4月から水泳やサーフィンを担当。16年リオデジャネイロ五輪を取材した感動から、長女に「リオ」と命名した。