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――初当選は1993年で、翌94年にかけて北朝鮮の核危機があった。
◆政界を緊迫感、危機感が覆った。政治家と国民が安保環境の厳しさを目の当たりにし、いやが応でも「危機管理」を考えざるを得なくなった。北朝鮮の核問題は25年以上たった今でも日本の安全保障環境の中で一番の不安材料だ。
――その後に公明党が連立与党入りして20年超たった。日米安保条約の評価を含め、どう対応してきたか。
◆与党として日本の平和と安全に責任を持ち、国民の生命と財産を守るには、我が国の防衛力とともに、日米安保に基づく日米同盟が極めて重要になっている。20年間の安保環境の変化に対しては党内でギリギリまで議論し、必要に応じて法律などを整備して対応してきた。その一つの節目が平和安全法制の整備だ。
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