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阪神大震災発生時は仕事でロンドンにいた。ニュースで知り、翌日からの予定を全てキャンセルして帰国。大阪・天保山から船で神戸に入り、惨状を目の当たりにした。「復興は難しいだろう」。絶望的な気持ちになった。
修業時代を過ごした神戸は、自分にとって青春の思い出の地だ。いわば第二の故郷。海と山に囲まれたその美しい街が一瞬にして破壊された。数カ月は仕事を中断して被災地を歩き回り、被災状況を目に焼き付けた。
当時は困難に思えたが、その後、比較的スピーディーに復興が進んだのは、まず地元の人たちが街を愛し、誇りを持って生きてきたことが大きいと思う。都市には珍しくコミュニティーも残っていた。大阪や東京では難しいのではないか。後に「ボランティア元年」と言われた通り、全国から駆けつけ、地元の人を支えた方々の働きにも多くを教えられた。
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