安倍晋三首相主催の「桜を見る会」を巡って新たな問題点が次々に浮上している。政府が釈明するほど矛盾が広がる状態が依然として続いており、もはやその説明は破綻を来していると言っていい。
一連の疑惑は昨年5月、共産党議員が資料要求した直後に招待者名簿が廃棄されたことが焦点の一つだった。これに加え、昨春だけでなく、過去の名簿に関しても不可解な対応が明らかになってきている。
内閣府は、安倍首相の再登板後、2017年度までの5年間、招待者名簿は文書の管理簿に記載せず、廃棄した記録も残してこなかったという。これは政府が自ら定めた公文書管理のルールに明らかに反する。
菅義偉官房長官は違法性を認めながらも、当初は「事務的な記載漏れ」と釈明。「5年も続けて、そんな単純なミスをするだろうか」との疑問が上がると、「漫然と前政権を踏襲した」などと説明を変えた。
しかし旧民主党政権に責任転嫁するかのような説明も説得力には乏しい。経緯に関して、再調査して精査するのは当然だ。
いずれにせよ重大なのは、これまで「適切だ」と繰り返してきた対応の誤りを認めた点だ。記録がなければ名簿を本当に廃棄したのかどうかさえ裏付けできない。政府は招待者が急増した点に対し、「既に名簿を廃棄したので分からない」と明確な回答を拒んできた。その弁明が根底から揺らいでいるということだ。
結局、首相との関わりを否定しようと、その場しのぎのような説明を重ねてきたからではないのか。
名簿以外でも、「桜を見る会」で飲食提供する業者が入札前に内閣府と打ち合わせをしていた事実も明らかになった。業者は首相の妻昭恵氏と親しいから優遇されていたのではないかという疑問も消えない。
首相は先日のNHKインタビューで「反省し、全般的な見直しを行わなければならない。公文書管理を徹底していかなければならない」と語った。だが、なぜこんな事態に陥ったか。肝心な点には口を閉ざしたままだ。
税金の私物化が指摘されるこの問題は、通常国会では引き続き大きなテーマとなる。首相はまず当事者意識を持つことだ。