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イラクの「毒ガス村」ルポ クルド人5000人が化学兵器の犠牲に 後遺症今も

化学兵器の被害に遭い、視力をほぼ失ったスウェイバ・サイードさん=イラク北部ハラブジャで2019年11月30日、篠田航一撮影

 トルコやシリアなどの山岳地帯に暮らし「国を持たない世界最大の民族」と言われるクルド人。かつては大半がオスマン帝国領に住んでいたが、第一次世界大戦後の帝国解体で民族も分断された。1988年、そんな歴史にまた悲劇が加わった。イラクのクルド住民5000人が、当時のサダム・フセイン政権に化学兵器で殺害されたのだ。現場となったイラク北部の山あいの町を訪ねると、32年がたとうとする今も視覚障害や呼吸器疾患に苦しむ人々がいた。【ハラブジャ(イラク北部)で篠田航一】

 「子供たちはなぜ命を奪われたのか。化学兵器を絶対に許さない」。自宅でスウェイバ・サイードさん(63)が言った。

 88年3月16日、夫と7人の子供と家にいると、イラク軍機の爆撃が始まった。一帯に油が燃えるような臭気が漂い、呼吸が苦しくなり目も痛んだ。「おかしい。毒ガスに違いない」。一家で外に飛び出し、臭いのしない方へ逃げた。

 だが、途中で呼吸困難に陥った子供たちが次々と「目が痛い、水が欲しい」と泣き叫びながら倒れた。子供5人と夫が死亡。サイードさんは助かったが、視力をほぼ失った。

 生き残った息子2人はドイツとノルウェーに渡り、サイードさんは1人、自宅で暮らす。部屋には、亡くなった子供たちの写真が飾られていた。

 11月末の夕暮れ、気温は5度まで下がった。足元の石油ヒーターに火をつけながら、サイードさんが顔をしかめた。「寒いので仕方ないが、この油の臭いをかぐのはつらいのです。あの日を思い出すから」

 1988年3月16日、イラクのフセイン政権(当時)が北部ハラブジャに化学兵器を投下し、クルド人5000人を殺害した。虐殺が起きた背景には、イラクの独断に加え、複雑に絡み合う各国の利害がある。

 当時はイラン・イラク戦争(80~88年)の末期。両国にまたがって暮らすクルド人を利用し、両国が相手のかく乱を図った。

 「クルド人が敵国イランと内通している」。疑念にとらわれたフセイン政権が、イラン国境近くに住むクルド人の殺害を決めた。

 作戦を指揮したのは、フセイン元大統領のいとこで「ケ…

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