連載

阪神大震災25年

高度成長を遂げた大都市をマグニチュード7・3の地震が襲い、6434人が死亡、二十数万棟の家屋が全半壊した阪神大震災が、2020年1月17日で発生から25年を迎えた。

連載一覧

阪神大震災25年

阪神から東日本、未来へ…災害・事故遺族つなぐ組織発足 「命を大切にする社会に」

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
田村孝行、弘美さん夫妻は2019年6月、弘美さんの実家を改装し、高校時代に野球部主将だった健太さんの遺品や写真などを展示した「伝承コミュニティースペース」を設けた=宮城県松島町で2020年1月7日午後2時19分、桜井由紀治撮影
田村孝行、弘美さん夫妻は2019年6月、弘美さんの実家を改装し、高校時代に野球部主将だった健太さんの遺品や写真などを展示した「伝承コミュニティースペース」を設けた=宮城県松島町で2020年1月7日午後2時19分、桜井由紀治撮影

 東日本大震災で長男健太さん(当時25歳)を失った宮城県大崎市の田村孝行さん(59)が、災害や事故の犠牲者遺族らによる連携組織「健太いのちの教室」を設立した。講演などを通じて「命を大切にする社会」の実現を目指す。きっかけは阪神大震災の被災地・神戸市長田区の住民らとの出会いだった。田村さんは17日、同区で犠牲者の慰霊法要に参加し、思いを新たにした。【桜井由紀治】

悲しみを分かち合う

 2011年3月11日、七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の行員だった健太さんら13人は、支店長の指示で支店屋上に避難したが、津波で12人が犠牲になった。歩いて数分の場所には高さ16メートルの高台があった。「救えた命だった」。無念で喪失感が募った。

 田村さんは震災後、妻弘美さん(57)と週末に現場に立ち、震災の記憶を語り続けた。これまで尊い命が失われても「人ごと」と捉えていたことを反省し、他の災害や事故の現場に足を運び、慰霊の行脚を重ねた。

 「阪神の遺族はどんな思いで過ごしているのか教えてほしい」。1995年の阪神大震災で128人が亡くなった神戸市長田区の御菅(みすが)地区を田村さん夫妻が初めて訪ねたのは、4年前の1月17日。NPO法人「まち・コミュニケーション」理事の田中保三さん(79)ら住民有志は当日、犠牲者の写真展を企画していた。

 「悲しみを分かち合いたい」。田中さんらは急きょ、健太さんの写真も共に展示した。祭りで写した息子の雄姿を会場で見つけた田村さん夫妻は涙をあふれさせ、阪神の遺族と語り合った。田村さんは「災害が違ってもつながり合えると確信した」と振り返る。

 東武線竹ノ塚踏切事故、JR福知山線脱線事故、御嶽山噴火災害……。その後も田村さんは遺族を訪ね歩き、共通する思いがあると気づいた。「喪失感を抱きながらも教訓を生かしてほしいという願い。それが愛する人の命を生かすことにつながる」。19年4月、入院した田中さんを神戸で見舞った際、連携組織の構想を相談した。「今度は自分たちが支える側に回りたい」。田中さんは笑顔で「あな…

この記事は有料記事です。

残り484文字(全文1347文字)

あわせて読みたい

この記事の特集・連載
すべて見る

注目の特集