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日本の靴産業150年、苦しい足元 輸入増え、職人は高齢化「若手活躍の場を」

甲の部分に使う革を靴型に合わせる「つり込み」の工程=東京都大田区久が原の大塚製靴で2019年12月4日午後0時24分、椋田佳代撮影

 東京・築地に日本初の靴工場が誕生し、靴産業が始まってから今年3月で150年となる。日本人の足に合う軍用靴を作る目的で始まり、紆余(うよ)曲折しながら発展してきた。節目の時を前に、ゆかりの地や生産現場を訪ねた。

 工場に足を踏み入れると、棚いっぱいに靴型が並んでいた。現存する国内最古の洋靴メーカー「大塚製靴」(東京都大田区)の東京工場。同社人事総務課長の高木修さんは「靴型は知恵と知識が蓄積されている。私たちの財産です」と語る。

 高級靴の代表で、堅固なグッドイヤーウエルト式の靴は、原料となる牛革1頭分から3足程度しか作れない。均一できれいなお尻の革を爪先に、シワがある部分はのりしろに充てるように裁断するのが腕の見せどころという。「靴は履いている人を表す鏡。日本人に合う靴を日本で作り、売ることにこだわってきた」と高木さん。

 皇室御用達で知られる同社は、佐倉藩(現千葉県佐倉市)の藩士の子だった大塚岩次郎(1859~1925年)が1872年に創業した。当時は陸軍が正式に洋靴を軍装に定めたものの、欧州製の靴は日本人の足に合わず、訓練もままならなかったという。陸軍の創始者だった大村益次郎が、旧知の実業家で同藩出身だった西村勝三(1836~1907年)に靴の製造を勧め、70年に国内初の工場・伊勢勝造靴場がつくられた。

 大塚製靴の社史によると、西村は明治維新で職を失った旧佐倉藩士たちが製靴技術を学ぶ「佐倉相済社」に教師役を派遣していた。大塚もここで学び、やがて陸海軍の革靴製造で大きく事業を展開する。明治天皇の靴も手がけた。

 次に訪ねたのは「世界長ユニオン」(江戸川区)の千葉工場(千葉県鎌ケ谷市)。モカシーノという製法で、職人が一針ずつ手作業で縫っていた。1枚の革で包み込むような製法は、熟練の技術が求められる。この縫い方を速く正確にできる職人は現在1人しかいないという。

 1950年代、本底を接着剤で貼り合わせる比較的簡便なセメント式が浸透し…

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