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「五輪開催国でヘイトスピーチなどもってのほか」 補助員として学んだ五輪精神 寺島善一さん(74)

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1964年五輪で選手からもらったサインを示しながら当時を懐かしむ寺島さん=東京都千代田区で2020年1月9日午後5時2分、大島祥平撮影
1964年五輪で選手からもらったサインを示しながら当時を懐かしむ寺島さん=東京都千代田区で2020年1月9日午後5時2分、大島祥平撮影

 大学生の時、1964年東京五輪陸上競技で練習グラウンド補助員を務めた明治大名誉教授の寺島善一さん(74)。「世界」が今ほど身近ではなかった時代、各国選手との心温まる交流がその後の人生を歩む原点となった。2度目の東京五輪に向けて「単なる『運動会』にしてはいけない」と思いを込める。【大島祥平】

 <東京教育大(現筑波大)1年で陸上練習補助員を務め、多くの選手と触れ合った>

 当時、幡ケ谷(東京都渋谷区)にあった陸上部のグラウンドが練習場になって、私は主にルーマニア、ポーランド、キューバを担当しました。キューバ男子陸上短距離のエンリケ・フィゲロラ選手とは毎日、スタートの練習。当時は開催国の言語を使い、日本では「位置について、用意」が合図だったから、タイミングに慣れるように繰り返しました。私はやり投げの選手でもあったので、ルーマニアのミハエラ・ペネス選手の練習では彼女が…

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