「以前は『たばこ屋さん』『パーマ屋さん』とか屋号で呼び合っていたのに、今は家がAやBの記号になってしまった。なんだか寂しい」
宮城県気仙沼市の災害公営住宅「市営牧沢住宅」に住む女性(84)が、東日本大震災の前まで暮らしていた街を、懐かしそうに振り返った。今住む「街」は同じような造りの戸建て住宅や集合住宅が建ち並び、約220世帯が入居する。
女性は2011年3月、震災の津波で自宅を失った。抽選で決まった災害公営住宅に一人で移り、近くに昔からの知り合いはいない。隣近所の人とはあいさつを交わす程度だ。女性は「友達を作りたくても、きっかけがないと難しい。近くに頼れる人がいないのは不安」とうつむいた。
この記事は有料記事です。
残り1984文字(全文2284文字)
毎時01分更新
16日に行われた「大学入学共通テスト」で、マスクから鼻が出…
22日に迫った核兵器禁止条約の発効を「夢のようだ」という。…
「黙示録の世界をどう生きるか、これが私の問いかけです」。世…