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東京へ ともに歩む

毎日新聞

1964年東京五輪の選手村で新国旗などが印刷された独立宣言のポスターを見ながら喜ぶ北ローデシアの選手ら=同年10月22日撮影

オリパラこぼれ話

二つの国名で五輪に参加 アフリカ大陸の北ローデシア

 国の独立によって、期間中に国名が変わるという五輪史に残る出来事が1964年東京大会で起きた。五輪に初参加したアフリカ大陸の英国領北ローデシアで、閉会式当日の10月24日午前0時(日本時間同7時)にザンビアとして独立。開会式は北ローデシアとして、閉会式はザンビアで新しい国旗の下に入場した。北ローデシアとしての五輪出場は、この東京大会が最初で最後となった。

    1964年東京五輪の開会式で行進する北ローデシアの選手ら=毎日グラフ臨時増刊 オリンピック 東京 1964から

     北ローデシアはアフリカ大陸の南部に位置し、20年代に欧米による銅鉱山開発で銅産出国となり、24年に英国が植民地にした。入植者の白人支配が続き、現地のアフリカ人が土地を奪われ、教育などで差別的待遇を受けていたが、62年の選挙で議会の過半数をアフリカ人が占めたことで政権を取り、2年にわたる英国との交渉の末、独立への道が開かれた。東京五輪では選手、役員15人を派遣。選手は陸上やレスリング、水泳などに出場した。

    1964年東京五輪のレスリングフリースタイル・フェザー級に出場した北ローデシアの選手(下)

     当時の毎日新聞は独立を喜ぶ選手らの様子を紹介している。選手村の北ローデシア選手団事務所には独立を控え、独立宣言のポスターを掲示。団長が「独立」という言葉を漢字、カタカナ、ひらがなで書いて披露した。開会式では英国旗のユニオンジャックをあしらった旗を使ったが、閉会式では自然を表す緑に力強く羽ばたくワシなどをデザインした新国旗を手に臨んだ。入場の順番も変更され、アルファベット表記で「Z」から始まるザンビアは、最後に入場する開催国日本の一つ前になった。選手は競技で目立った成績を残せなかったが、全員が閉会式に参加して世界に独立の喜びを伝えたという。

     今年の夏、56年ぶりに開催される2回目の東京五輪。ザンビアの人々にとって、祖国の歴史を思い、感慨深い大会になるに違いない。【関根浩一】

    関根浩一

    東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。