“原子野の少女”だった母、何を目にしたのか? 長男が講演 「伝えてと言われたとしか…」
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原子野にたたずむ母は何を目にしたのか--。2019年にリニューアルされた広島市の原爆資料館本館入り口に掲げられた少女の写真。原爆投下3日後に毎日新聞記者が撮った当時10歳の藤井幸子さんの長男、哲伸さん(59)=東京都調布市=は、被爆の影響で若くして亡くなった母の体験と半生を追い続けている。25日に都内であった市民講座で、追体験から判明した事実などを語った。
この日、哲伸さんは1枚のイラストを紹介した。家の玄関近くに置かれた長椅子に座るブラウス姿の女の子。被爆直前の母の姿だ。
母は被爆の影響による骨髄がんで1977年に42歳で亡くなった。原爆投下の瞬間、爆心地の東約1・2キロの洋食店を兼ねた自宅にいて「右手をついていたら爆風が吹き込んできた」と聞いていた。
米原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所)で定期的に検査を受けていた記憶を頼りに、カルテを取り寄せて分析した。吹き込んできた爆風で、右腕を大やけどしたことが確認できた。被爆3日後の写真の服装と合わせてイラストで再現してみた。
「母は被爆前後をどう過ごしたのか。もっと母の人生を知りたいとの思いは消えなかった」。毎日新聞の国平幸男記者(09年に92歳で死去)が撮った少女が、専門家の写真鑑定などから幸子さんと判明したのは17年末。右腕を負傷した少女の写真をサイトで見た哲伸さんが「母ではないか」と名乗り出たのがきっかけだった。写真は19年春から原爆資料館本館で常設展示されているが、哲伸さん…
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