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記者たちの記憶・阪神大震災25年

阪神大震災が1月17日で発生から25年の節目を迎える。毎日新聞では記者が全国から集結、長期にわたり取材に当たった。東日本大震災が起きるまで、国内では戦後最大だった自然災害から四半世紀を経て、記者が当時を振り返る。

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記者たちの記憶・阪神大震災25年

電話越し、妻の言葉

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神戸市の三宮とポートアイランドを結ぶ神戸大橋は車が通れない状態が続き、徒歩で渡る人の列が絶えなかった=神戸市中央区の神戸大橋で1995年2月、内林克行撮影
神戸市の三宮とポートアイランドを結ぶ神戸大橋は車が通れない状態が続き、徒歩で渡る人の列が絶えなかった=神戸市中央区の神戸大橋で1995年2月、内林克行撮影

 あの時、私は神戸支局の3階宿直室で床に就いていた。すさまじい揺れで夢うつつの状態から覚め、2階の編集室に急ぐと、室内は足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃになっていた。

 支局員から次々と電話が入る。乳飲み子を抱えた若い男性記者は「家を片付けてから出社したい」と言う。しかし「駄目だ。すぐに来い」と命じた。非情な言葉。今なら問題になってもおかしくないところだが、当時はそれが当然だったと思う。

 かくいう自分も、神戸・ポートアイランドの高層住宅に妻と幼子2人を残していた。後輩に厳しい言葉を吐いたものの、午前中の記憶はほとんどない。家族の安否が気になり、仕事どころではなかったからだ。正午過ぎだろう、妻と電話がつながった。「私たちは大丈夫。だから、気にしないで仕事してね」。体中の力が抜けた。

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