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令和のジャーナリズム同時代史

元社会部長の小川一が、ジャーナリズムをめぐる令和の事象について、平成や昭和の教訓を振り返りつつ、その課題を展望します。

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(4)桶川ストーカー殺人事件の重い教訓

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猪野詩織さんが刺殺されたJR桶川駅西口の現場=2006年3月31日撮影
猪野詩織さんが刺殺されたJR桶川駅西口の現場=2006年3月31日撮影

 桶川ストーカー殺人事件は、メディア、警察、司法行政に深い自省と大きな転換を迫った衝撃の事件でした。メディアは警察取材や被害者報道のあり方に猛省を迫られるとともに、被害者報道の意義も改めて学ぶことになりました。警察はその無気力捜査と隠蔽(いんぺい)体質を厳しく問われ、3人の警官が懲戒免職、書類送検され有罪判決を受けました。他に埼玉県警本部長以下12人が大量処分されました。そして、この事件を機に「ストーカー規制法」という新しい法律が生まれ、ストーカー事案に司法・行政が向き合う体制がやっと動き始めたのです。

 1999年10月26日、埼玉県桶川市のJR桶川駅前で、女子大生の猪野詩織さん(当時21歳)が殺害されました。詩織さんは実業家を名乗る男に執拗(しつよう)につきまとわれ、事実無根の誹謗(ひぼう)中傷のビラや手紙を自宅周辺だけでなく父親の憲一さんの勤務先にまでまかれました。「大人の男性募集中」と詩織さんの氏名、顔写真、電話番号が書かれたカードが郵便受けに大量に投函(とうかん)されました。自宅の前に車2台を止められ、大音量の音楽、エンジンの空ぶかしを繰り返されました。詩織さんは友人たちに「もうだめ、殺される」と告げ、両親にあてて「殺されたら犯人はこの男」と実名をあげて遺書をしたためていました。そして、男の手下たちに刃物で襲われたのです。この事件の深刻さは、何の落ち度もない女性が殺害されたというだけではありません。詩織さんと家族は再三にわたって地元の上尾署に身の危険を訴え、告訴しようとしました。しかし、警察は「民事事件だ」「告訴すると面倒だよ」「あんたもいい思いをしたんじゃないの」などと失礼な言葉を投げて受理を渋り、受理後も取り下げるよう要請し、揚げ句には調書を「被害届」に改ざんしました。告訴を受理すると、検察庁に報告しなければならず、それを嫌ったことが理由と後に判明します。一方で、メディアに対しても詩織さんの事実とは違う人物像を非公式の形で流しました。一部の新聞やテレビのワイドショー、週刊誌などは、こうした警察情報をもとに誤った詩織さんの姿を報道しました。詩織さんは、命を奪われた後も、まったくいわれのない名誉毀損(きそん)を受けることになったのです。

 この由々しき事態を正すことに敢然と挑んだジャーナリストがいました。写真週刊誌「FOCUS」の記者だった清水潔さんです(清水さんはその後、日本テレビの記者に転身しています)。清水さんの著書「桶川ストーカー殺人事件-遺言」(新潮社)は、行間から血がにじみ汗がしたたるような迫真のドキュメントです。日本ジャーナリスト会議大賞を受賞しました。清水さんは、つきまとっていた男が裏で性風俗店を経営していたことをつかみ、その周辺の人物を洗い出します。そして、尾行や張り込みを続け、ついに殺害の実行役を突き止めます。私も長く事件取材をしていますが、一人の記者が独力で警察よりも早く容疑者を割り出し、逮捕へとつなげた例は見たことがありません。その取材力にはただ脱帽します。

 清水さんの仕事のさらにすごいところは、警察の怠慢と隠蔽をあぶりだすとともに、亡くなった詩織さんの名誉回復に努めたことです。警察は、自らの怠慢や隠蔽工作に関心が集まらないようにさまざまな画策をしたとみられます。清水さんの著書は、その形跡を丹念に追っています。殺害された時の記者会見では、「黒いミニスカート」「厚底ブーツ」「プラダのリュック」「グッチの時計」といった所持品をあえて語り、「派手な女子大生」というイメージをふりまこうとしたようです。これらの所持品は、ストー…

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