連載

終わらない氷河期~疲弊する現場で

2019年7~9月に連載した「終わらない氷河期~今を生き抜く」では、氷河期世代が就職に失敗し、病気や引きこもりなどに苦しむ姿を描きました。その続編として今回は、非正規化、合理化で劣化する各労働現場で疲弊する同世代の人生を取り上げます。規制緩和や制度改悪などが進む各業界特有の事情も別稿で解説します。

連載一覧

終わらない氷河期~疲弊する現場で

空いたポストは若手に…「はしごをはずされた」 50歳大学非常勤講師の絶望

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷

 バブル崩壊後の採用が少ない時期に、辛酸をなめた就職氷河期世代。彼らはそれぞれの業界、職場で長く苦闘を続けてきたが、制度改正や合理化によって労働環境の劣化は一層進んでいる。疲弊する現場の今を追った。

     ×    ×

 遅刻しないよう、朝は早めの5時に起き、自宅のある埼玉県東部から2時間以上かけて神奈川県西部にある私立大学に向かう。1時間半のフランス語の授業を2コマ終えると、休む間もなく千葉県北部の私立大学へ。電車の中で昼食のおにぎりを詰め込み、2時間後にはまた教壇に立つ。文学や芸術の授業を午後6時に終え、帰宅する頃にはくたくただ。「毎日違う大学に行っています。一つの職場で集中したいですが、仕事があるだけましですね」。約15年間、非常勤講師を続けてきた川本昌平さん(50歳、仮名)は淡々と日々のスケジュールを教えてくれた。現在は六つの大学で講師を掛け持ちする。細いレンズのめがねにアーガイル柄のセーター、ジーンズ姿。落ち着いた口調だが、表情にはあきらめと疲れがにじむ。

博士号増えるもポスト増えず

 埼玉県出身。子どもの頃から本の虫で、学者に憧れを抱いていた。高校時代は中国の古典「史記」に夢中になり、中国文学を志したが、1年間の浪人時代にフランス文学者が書いた本に感銘を受け、有名私立大の文学部に入ってフランス語や文学を学んだ。

 新卒採用が急減した「就職氷河期」初期の1993年、卒業を迎えたが、研究者の道しか頭になく、大学院に入った。国は90年代、研究力向上を狙いに「大学院重点化」政策を進め、博士号取得者は年々増えた。当時、民間企業などへの就職が難しく大学院へ進む人も多かった。一方、正規雇用の専任教員のポストは増えず、ただでさえ少ない文系の博士の就職はより狭き門になっていた。「高学歴ワーキングプア」という言葉も生まれた。

恩師の言葉信じて渡仏、努力重ねたが……

 博士課程が満期の3年を終える時、指導してくれていた教授が別の大学へ移った。専門性の高い博士課程で指導教員が代わる影響は大きく、「学位が遠のく」とも言われる。後任の教授に相談すると、「君の専攻は自分には分からない分野なので、フランスで博士論文を書いて、博士号を取ってくればいい。戻ってきたら、道をつけてあげるから」と勧められた。

 その言葉を信じ、日本の大学院を退学して2000年に渡仏。大学の授業料や生活費を稼ぐため、現地で日本語教師として働きながら、博士論文に没頭した。授業にはほとんど行かず、図書館で文献を探しては、自宅に閉じこもってフランス語で執筆を続けた。海外での博士号取得は6年はかかると言われていたが、3年半で書き上げ、口頭試問もパスした。「孤独でしたが、お金も限りがあり、死に物狂いで頑張りました。革新的な内容のものができたという自信があったので、日本に帰れば教員になれると思っていました」

 しかし、現実は違った。道をつけてくれるといった教授が病気で急逝したこともあり、04年の帰国直後、母校では非常勤講師の職しかなく、しかも週1コマ…

この記事は有料記事です。

残り2960文字(全文4221文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集