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伝えたい東京へ

「火消してはならないと必死でした」 64年聖火空輸リレー派遣団の職員・久野明子さん(79)

当時の資料を前に思い出を語る久野明子さん=東京都内で2020年1月20日午後3時31分、大島祥平撮影

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 1964年東京五輪の聖火はギリシャからテヘラン、ニューデリー、バンコクなど11都市経由で、現地の若者が国外区間をリレーしながら空路で日本まで運ばれた。五輪組織委員会の最若手職員として空輸作戦に携わった久野明子さん(79)=東京都世田谷区=は「平和の火」を運んだ一人だ。「戦争から復興した日本を世界に伝えたいという先輩方のロマンと意地だったと思います。火を消してはならないと必死でした」と振り返る。

 <64年に大学を卒業して組織委に入った>

 米スタンフォード大に交換留学し、当時のステレオタイプな日本観に接していたので「本当の日本を五輪という絶好の機会に世界に紹介したい」という思いで希望しました。国際オリンピック委員会(IOC)のアベリー・ブランデージ会長が来日した際の秘書役も務めました。開会式では会長が天皇陛下に開会宣言をお願いしたのですが、その際の日本語での発音を教えてあげたのもいい思い出です。

 <日航特別機「シティー・オブ・トーキョー号」で空輸総距離1万5508キロをつないだ旅。当時の中東やアジア諸国は紛争なども抱えており、国外リレーは一大プロジェクトだった>

 新人として夢中で走り回っていた7月に上司から「団長秘書兼通訳」の打診を受け「行かせてください」と迷わず答えました。行程で私が担当したのはインドから沖縄までの東の後半部分です。男社会だった当時としてはかなりチャレンジングな人選だったのかもしれません。

経由地のバンコクでのリレー走者たちと久野さん(中央)=提供写真

 <聖火は各地で熱狂的に迎えられた>

 プロジェクトの中心的役割を担った中島茂さん(故人)と共に聖火の予備灯を抱えて、ランナーの後を車で伴走しました。トーチは燃料が6分で切れるため、その前に次のトーチに火を引き継がなければいけませんが、群衆で進めなくなることも。英語で言っても聞かないので、気迫を込めて日本語で「どいて」と叫ぶと道が空くことも多々ありました。

 <印象に残る光景がある>

 当時、沖縄はまだ米国統治下で飛行機の中から着陸前に見えたのは星条旗でした。でも、タラップから降りると何千という沖縄の方々が日章旗をちぎれんばかりに振っていたのが感慨深かったです。世界をつなぐのが五輪の輪。日本が戦争をしたアジアの若者たちがリレーに参加したことで、将来自分たちの国でも五輪が開催できるのではという夢と希望を感じてもらえたのではと思います。

 <再び聖火が日本に来て、3月から聖火リレーが始まる>

 選ばれたランナーに有名人が多いように思いますが、もっと五輪にそれぞれの思いをもつ一般の人や、次の時代を担う子供たちも走れるようになるとよいですね。環境などグローバルな問題を抱える中で、今大会が今後の五輪のあり方や、どんなレガシーを伝えるべきかを考えるきっかけになってほしいと思います。【大島祥平】

プロフィル

 久野明子(くの・あきこ) 慶応大卒。1964年東京五輪組織委員会渉外部勤務。日米協会副会長。国際女性ボランティア団体CWAJ会長なども務めた。著書に「鹿鳴館の貴婦人大山捨松」など。

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