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東京へ ともに歩む

毎日新聞

東京パラリンピックへの思いとこれまでの競技生活などを振り返る谷真海=東京都港区で2020年1月24日、佐々木順一撮影

東京・わたし

「オリパラ一つのチームに」 パラトライアスロン 谷真海

 8月25日の東京パラリンピック開幕まで、7日で200日。トライアスロンで東京大会出場を目指す谷真海選手(まみ、37歳)=サントリー=が、2013年の国際オリンピック委員会(IOC)総会の最終プレゼンテーションで招致に尽力した大会への思いを語った。【高橋秀明】

 ――20年東京大会の日本選手団公式ウエアが、初めてオリンピックとパラリンピックで同一のデザインになりました。

東京パラリンピックのテスト大会を兼ねたパラトライアスロンのワールドカップに出場した谷真海=東京都港区で2019年8月17日、佐々木順一撮影

 ◆「ようやく」という感じ。これまでなんで違うんだろうと思っていました。陸上でも同じユニホームを着ているけど、感慨深い。オリパラで一つのチームというのは理想だと思っていたので、すごく良かったです。見ている方も一つのチームなんだなという意識を持てます。すごくこの7年間で変わってきました。選手たちの練習環境の費用面の負担も減ってきましたし、いい方向に動いてきたと感じています。

「純粋にスポーツとして見てほしい」

 ――社会全体の変化についてどう見ていますか。

 ◆目に見える大きなバリアーはなくなってきています。特に東京はエスカレーターやエレベーターのある駅が増えてきました。車いすの人のためだけでなく、高齢の方を含めて、いろんな人が過ごしやすいよう変化してきたのかなと。あと町を歩く障害のある人が増えたなとも感じていて、そこはすごくプラス。海外よりそういう光景を見かける機会が少なかったのは、公共交通機関の利用のしにくさだとか、逆に過剰なサポートとかがあったように思います。パラスポーツがよくメディアに出るようになり、皆さんの意識も変わってきたと感じます。

 パラリンピックそのものに関しては、私は純粋にスポーツとして見てもらっていいと思うが、見たことがない人にはまだハードルがあります。一目見れば、限界を作らずにチャレンジする姿勢だとか、意識を変えてもらえる部分があるのかなと期待したいですが、今はまだ身構えて難しく考えて、どんなふうに見たらいいのかなという部分があると思います。気軽に遊びに行く感覚で、観戦に来てもらいたいです。

 ――過去の大会で参考になったケースは。

 ◆12年のロンドン・パラリンピックは素晴らしかったです。招致が決まってから、テレビ放送の仕方やお客さんの楽しみ方、会場の雰囲気作りが年々良くなり、最後に大会本番で信じられないような光景を目の当たりにしました。会場は満員で、一人一人が純粋にパラスポーツをワオ、ワオって言いながら見てくれて……。昨年のラグビー・ワールドカップみたいに、スポーツとして楽しんでくれていたのが印象的でした。子供たちも選手の名前を呼んで応援してくれて、すごいことだなと思いました。

水質悪化のためスイムが中止となり、デュアスロンに変更して開催されたパラトライアスロンのワールドカップに出場した谷真海=東京都港区で2019年8月17日、佐々木順一撮影

 その後、障害者の雇用率もアップして、スポーツが社会の意識を変えることに貢献しているんだなと感じました。障害を持った子供たちを地域のクラブに入れるための体験会もやっていて、それが学校で誰もが混ざり合ってというところにつながっていくのかなと思いました。東京大会も何を残せるのかが大事。そのためにも大会の成功が不可欠です。一人でも多くの人に会場に足を運んでほしい。

 ――昨年夏のテスト大会で「東京でなかったらパラを目指していなかった」と話していました。

 ◆私には今年5歳になる子供がいます。海外遠征で家を離れることがあるので、東京大会でなければ子供との時間を優先していたかもしれません。でも招致にも関わった東京大会だからこそ思い入れもあるし、本番を想像して、「自分がどういう姿でいれば、悔いがないかな」と考えた時に、最後までチャレンジできたら幸せかなと思いました。これまでに自分の(障害の)クラスがなくなるという、すごく大きな壁もありました。だからこそ、その先に見える感動の景色があるのかなと思います。

障害の軽いクラスで4度目の晴れ舞台目指す

 ――競技人口が少ない自身の障害クラス「PTS4」が東京大会の実施種目から除外されて一度は参加の道が閉ざされましたが、より障害の軽い「PTS5」の選手と一緒に戦うことになりました。

C2・谷真海のパラ.eps

 ◆正直、決定には課題があったと思います。最初はばっさり自分のクラスが切られ、ルール改正の提案をして何とかなりました。トライアスロンはパラの中では歴史の浅いスポーツ。24年のパリ大会に向けて今回の課題が反映され、途中で参加の道がなくなるということはないのかなと期待しています。

 (より障害の軽いクラスで戦うことについて)最初は迷いもあったし、そこまでしてやるのかというところでは正直悩んだりもしました。それでも、東京大会だからこそ、少しでも可能性があるならと思いました。これまでの3大会も順調に出場権を得てという感じではなく、最終選考の時期に記録を伸ばして代表入りしました。最後まで何があるか分からない。信じて頑張りたい。

 ――昨年、PTS4では主要大会で表彰台に立ちましたが、PTS5も含めた世界の中での現在の立ち位置、本番での目標設定は。

 ◆実力は10番前後だと思いますが、実際に出るとなると、暑さもあるので、ふたを開けてみないと分かりません。最終的には入賞ラインを目標にしています。

招致演説で訴えた「スポーツの力」

 ――13年の招致演説では、東日本大震災の経験を踏まえ、「スポーツの力」を訴えました。

 ◆一番印象深かったのは、感情を表に出すことを我慢しているようなつらい時期の子供たちが、スポーツを通して笑顔になっていったこと。(震災後)最初に行ったのは母校の(宮城県気仙沼市の)気仙沼小学校、中学校。震災から1カ月ぐらいの時期だったので、体育館や教室に被災者の方がいました。子供たちは感情を押し殺し、閉ざしているような感じでしたが、走ったり、かけっこをしたり、なわとびをしたりして交流しました。その中で最後はくっついて離れなかったり、見えなくなるまで手を振ったりしてくれました。

 私は走り幅跳びで踏み切る際の足を(利き足の左足から義足の右足に)変えることに取り組んでいて、12年のロンドン・パラリンピックは厳しいかなと思い、震災もあって休んでいました。あきらめる気持ちも出始めていましたが、地元の人たちの強さを感じて、ぐっと我慢する強さが自分にもあるはずだと思いました。スポーツの力を改めて感じました。

 ――東京パラリンピックが社会に発信できるメッセージとは。

 ◆障害の有無だけでなく、人種、国籍、言葉、年齢など、いろんな違いを乗り越えて一つになれるところがパラリンピックの素晴らしさだと思っています。

 ――今後の予定と強化ポイントを教えてください。

 ◆昨シーズンはバイク(自転車)がブレーキになっていました。バイクの強化にフォーカスして、こつこつ地味なトレーニングをしています。(東京大会に向けて)何度もピークはこないし、ずっと張り詰めた状態でいるのは苦しい。選考の過程で燃え尽きないようにしたいです。暑さについては、日ごろの練習拠点が東京だし、慣れはあります。あとはいかに疲労を蓄積しないか。暑い中でばかりやっていたら疲労が蓄積してしまうので、長野で高地合宿をすることも考えています。

たに・まみ

東京五輪・パラリンピックの最終プレゼンテーションを前に、記者会見で海外メディアの質問に答える谷真海=ブエノスアイレスで2013年9月5日、梅村直承撮影

 宮城県気仙沼市出身。旧姓佐藤。早大在学中の20歳の時に骨肉腫を発症し、義足ユーザーになった。パラリンピックは陸上女子走り幅跳びで、2004年アテネ、08年北京、12年ロンドン大会に出場。13年には国際オリンピック委員会(IOC)総会の最終プレゼンテーションでスピーチし、東京五輪・パラリンピック招致の立役者となった。

谷真海さんの招致演説要旨

 2013年9月7日、ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会での最終プレゼンテーション(招致演説)で、谷が英語で行ったスピーチはIOC委員の心を揺さぶった。スピーチの日本語訳(要旨)は次の通り。

 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようとしている価値です。

 19歳の時に私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。チアリーダーでもありましたが、初めて足首に痛みを感じてからたった数週間のうちに、骨肉腫により足を失ってしまいました。絶望の淵に沈みましたが、それは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。目標を決め、それを乗り越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、失ったものではないということを学びました。

 私はアテネ(04年)と北京(08年)のパラリンピックに出場しました。スポーツの力に感動した私は、恵まれていると感じました。ロンドン大会(12年)も楽しみにしていました。しかし11年3月11日、津波が私の故郷の町(宮城県気仙沼市)を襲いました。6日もの間、自分の家族が無事かどうかも分かりませんでした。

 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。他のアスリートも同じことをしました。私たちは一緒になって、(被災者が)自信を取り戻すお手伝いをしました。そのとき初めて、スポーツの真の力を目の当たりにしたのです。

 新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地に1000回も足を運びながら、5万人以上の子供たちを勇気づけました。

 私たちが目にしたものは、五輪の価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力を持つということです。

高橋秀明

毎日新聞東京本社運動部編集委員。1968年、東京都生まれ。1991年入社。京都支局、鳥取支局を経て、大阪、東京運動部で野球、大相撲、柔道、レスリング、ニューヨーク支局で大リーグを担当。アテネ、トリノ、北京の五輪3大会を現地取材した。2018年4月からパラリンピック報道に携わる。最近の趣味は畑いじり。