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第103回全国高校野球選手権

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後輩への期待/下 智弁学園 攻めは守備から 和泉健守さん(76) /奈良

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智弁学園野球部の歴史について語る和泉健守さん=五條市で、萱原健一撮影 拡大
智弁学園野球部の歴史について語る和泉健守さん=五條市で、萱原健一撮影

 <センバツ2020>

 ――1968年夏に甲子園初出場を果たした当時、大会最年少の24歳監督でした。

 ◆大会が近づくと、眠れないくらいのプレッシャーに襲われました。悩んだ末、選手には「打てると思ったら初球から行け。守備もエラーしてもいいから打球に突っ込め」と伝えました。これが功を奏して前橋工(群馬)に6―0で快勝。部長時代の76年春は8強、77年春は4強に入り、80年代には常連校としての地位を確立しました。

 ――小坂将商(まさあき)監督(42)は就任14年目。2016年春には全国制覇を果たしました。チームはどう変わってきましたか。

 ◆小坂監督は、岡本和真選手(巨人)や広岡大志選手(ヤクルト)らを育て、打撃のチームという印象はあるでしょうが、やはり「守備から攻めのリズムを作る」という智弁の伝統を大事にする気持ちはあると思います。全国制覇は監督になって10年目の年。優勝した後、小坂監督は私に「自慢できるチームが初めてできた」と言いました。一流選手の育成よりもチームワークを大事にする監督。(智弁学園や智弁和歌山で名将と言われた)高嶋仁さんの後を継ぐ監督になるのでは。楽しみです。

 ――今回は天理とダブル出場です。天理は智弁学園にとってどんな存在ですか。

 ◆1960年代、70年代は天理になかなか勝てず、天理に追いつき、追い越せが目標でした。県内では永遠のライバルでしょうが、切磋琢磨(せっさたくま)できるライバルがいるというのは幸せなことです。

 ――和泉さんは何度もがんを克服してきたそうですね。

 ◆57歳で右足にがんが見つかり、それから左右の肺、膵臓(すいぞう)と次々に転移し、昨年末は前立腺がん。計6回の手術をしました。甲子園の運営に携わった20年間で現場を離れたのは1シーズンだけ。とにかく甲子園に行きたいの一心で、それが闘病の力になりました。がんよりも甲子園に行けない方が怖かったです。

 ――今のチームに一言。

 ◆目標は全国優勝でしょうが、まずは自分の持つ力を発揮することを目指してほしい。負けている試合でも前向きに、積極的に、自分の力を出し切ってほしい。【聞き手・萱原健一】


 ■人物略歴

和泉健守(いずみ・けんじ)さん

 高田高野球部に所属し1962年卒。日体大を経て66年4月、智弁学園の保健体育教諭に。同年6月、野球部監督に起用された。創部4年目の68年夏に甲子園初出場。72年まで監督を務め、その後部長に。94年以降、県高野連理事長、副会長などを歴任し、日本高野連理事として約20年間、春夏の甲子園大会の運営に携わった。現在は日本高野連顧問。

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