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東京へ ともに歩む

毎日新聞

5大会連続のパラリンピック出場を目指す競泳男子の山田拓朗選手=東京都千代田区で2020年2月12日、内藤絵美撮影

東京・わたし

「自分の価値を証明する」 5大会連続のパラリンピック出場に挑む 競泳・山田拓朗

 東京パラリンピックの開幕まで25日で半年。出場権を争う代表選考会も本格化します。5大会連続出場に挑むのは、2004年アテネ大会で日本のパラリンピック史上最年少の13歳で出場した競泳男子の山田拓朗選手(28)=NTTドコモ。東京大会に向けた目標や障害の程度に応じたクラス分けの事情などについて聞きました。【聞き手・芳賀竜也】

     ――競泳のパラリンピック代表選考会は3月6~8日、静岡県富士水泳場で開かれます。

     ◆パラ競泳では、日本代表に選出される基準の制限タイム(派遣標準記録)があり、16年リオデジャネイロ大会の選考会で初めて設定されました。当時は本番で勝負するためには、このくらいのタイムは必要だろう、という程度のものでした。ところが、今回の派遣標準記録はかなり厳しい設定です。過去に味わったことのない緊張感があります。

    両腕のバランスを取りながら飛び込むパラ競泳の山田拓朗選手=千葉県国際総合水泳場で2019年11月24日、宮間俊樹撮影

     ――どのくらい厳しいタイムなのでしょうか。

     ◆僕がパラリンピックでメダル獲得を目指す男子50メートル自由形(運動機能障害S9)の派遣標準記録は26秒13です。リオ大会の時は26秒79だったので、4年間で0秒66も速い設定になりました。自己ベストはリオ大会決勝でマークした26秒00なので、不可能ではありません。しかし、かなりハイレベルな記録を求められていることは間違いありません。今回の派遣標準記録は、東京大会の参加標準記録突破者のランキングで3番目の選手より、わずかに遅く設定されました。国際的な競技水準が向上すれば、おのずと設定記録も厳しくなります。ただし、パラリンピック特有の事情もあると思います。

    障害のクラス分け見直し 出場種目が減少

     ――特有の事情とは。

     ◆パラリンピックに出場する選手の障害の程度はさまざまです。競技の公平性を保つため、できる限り障害の程度が近い選手で競うための「クラス分け」が行われます。競泳の場合、リオ大会後の18年に選手全員が再度、クラス分けの審査を受けました。僕のようにクラスが変わらなかった選手もいれば、以前より軽くなった選手、重くなった選手もいます。その結果、同じレースで争うライバルたちの顔ぶれも変わりました。

     ――選手によって明暗が分かれたのですね。

     ◆選手が規則に従って努力するのは当然だと思いますが、昨年ロンドンで開かれた世界選手権の際、各国・地域の代表選手が参加したミーティングでは、今回のクラス分けへの不満の声も聞かれました。

    東京パラリンピック出場へ意欲を燃やす競泳男子の山田拓朗選手=東京都千代田区で2020年2月12日、内藤絵美撮影

     ――得意種目の50メートル自由形以外で、出場を狙う種目はありますか。

     ◆個人種目は(50メートル自由形の)1種目だけです。リオでは100メートル自由形にも出場しましたが、東京大会では、僕のクラスであるS9の種目がなくなりました。S9は比較的障害が軽いのですが、障害の重い選手の出場機会を増やすため、軽いクラスの種目が削減されたと聞きました。

     ――自分の種目がなくなるとは大変ですね。

     ◆18年1月に発表されたのですが、全く予想していませんでした。パラリンピックの選手は、一般的に障害の軽い人が多く、重い人が少ない傾向にあります。競泳では障害の軽いクラスの自由形は、最も選手が多い種目です。競技性が高く、競争が激しい。その分、実施されることが確約されていたと思っていたので、意外でした。

     ――ショックだったと思いますが、どう気持ちを切り替えたのですか。

     ◆仕方がないと思うしかなかったです。幸いにして、削減候補となった50メートルと100メートルの自由形のうち、自分が得意にしている50メートルの方が残ったので、まだ良かったと納得することにしています。

     ――パラリンピックのクラス分けの仕組みについて、どのように思いますか。

     ◆難しいですね。ある程度は仕方がありませんが、競技をする側も見る側も、やはりフェアでなくては面白くないと思います。

    13歳で初めてパラリンピック出場

    アテネ・パラリンピックに日本選手として史上最年少の13歳で出場した山田拓朗選手。東京大会に出場すれば5回目のパラリンピックの舞台となる=ギリシャ・アテネの水泳センターで2004年9月24日、武市公孝撮影

     ――山田選手が13歳でアテネ・パラリンピックに出場してから16年近くになります。障害者スポーツを取り巻く環境の変化を感じますか。

     ◆全く違います。国からのお金(強化費)が増え、各競技団体に予算がつくようになり、企業のサポートを受けられる選手もかなり増えました。少し前まで当たり前ではなかったことが、今では当たり前の時代になっています。

     ――周囲の反応はいかがですか。

     ◆昔に比べると、パラリンピック自体がよく認知されるようになったと思います。障害のある人たちが、何か没頭できるものを見つけ、自分の価値を証明するための一つの手段として、パラリンピックは素晴らしいイベントだと思います。

     ただ、急に認知されるようになったことで、実態がよく理解されていない側面もあります。例えば、障害者がスポーツをしていると聞くと「パラリンピックに出るんですね」と言う人がいます。健常者が同じことを言っても「五輪に出るんですね」とは当然言われません。選手にとっては五輪もパラリンピックも同じレベルなのに、理解されていないことがあります。

     ――選手の競技環境も変わりましたか。

    東京五輪・パラリンピック関連のイベントに出席した山田拓朗選手(右から2人目)=東京都港区で2017年7月24日午後1時52分、和田大典撮影

     ◆自分としては、そんなに大きな変化はないと思います。自戒を込めて言えば、自ら動かなくても何とかなるようになりましたが、必ずしも良いことだとは思いません。

     ――どうしてですか。

     ◆そもそもパラリンピック自体がそれほど知られていない時代は、企業からのサポートはもちろんですが、練習環境を確保することも難しかった。そのような環境で、パラリンピックを目指すということに周囲の理解を得ることは、難しい状況でした。僕の先輩たちも含め、選手の能力が高くなければ競技を続けることすら難しかったのです。今では簡単に「パラリンピックに出たい」と言えるようになりました。自分で動いてこそ、己の能力向上につながる面もあると思います。

    「世界一のメダルってかっこいい」

     ――山田選手にとって、パラリンピックとは。

     ◆パラリンピックを知ったのは、障害者競泳のチーム「神戸楽泳会」の先輩である酒井喜和さんに、00年シドニー大会の金メダルを見せてもらった時です。その時は「世界一のメダルってかっこいいな」と思っただけでした。4大会連続で出場してみると、世界中であんなに盛り上がるパラ水泳の大会はありませんでした。つらい練習や不振などで何度も水泳をやめたいと思っても、レース後はすべてを振り絞った爽快感や達成感に包まれ、また泳ぎたいという気持ちになります。

     ――代表選考と本番に向けての意気込みを。

     ◆3歳で水泳を始めたのですが、水泳をしていなかったら家に閉じこもっていたと思いますし、いろいろな人々との出会いもなかったと思います。水泳をさせてくれた両親に感謝しています。選考会では集中し、自己ベストを出して代表に内定したいと思います。東京パラリンピックは、しっかりと準備してきた大会なので、予選も決勝もすべて出し切ったと思えるようなレースができるように頑張ります。

    山田拓朗(やまだ・たくろう)

     兵庫県三田市出身。先天性の障害で左肘から先がない。競泳男子自由形で短距離が専門。パラリンピックには、日本歴代最年少の13歳で臨んだ2004年アテネ大会から4大会連続出場。16年リオデジャネイロ大会は男子50㍍自由形(運動機能障害S9)で銅メダル。NTTドコモ所属。28歳。