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毎日新聞

アルベールビル冬季五輪スピードスケート女子1500メートル(写真左)とソウル夏季五輪自転車トラックレース女子スプリントに出場した橋本聖子選手

オリパラこぼれ話

夏冬両五輪・パラリンピック 出場の日本人アスリート

 過酷なトレーニングを積み重ねて夏季、冬季両方の五輪に出場した日本人選手の一人として、橋本聖子五輪担当相が知られている。毎日新聞の報道などによると、ほかに「夏冬」を経験した選手は五輪では男女計3人いる。パラリンピックでは男女計14人だ。

    バルセロナ夏季五輪の陸上男子100メートル1次予選で力走する青戸慎司選手(中央)=1992年7月31日撮影

     橋本五輪担当相と同様にスピードスケートと自転車競技を両立させたのが大菅小百合選手と関ナツエ選手だ。大菅選手は2002年ソルトレークシティーと06年トリノの両冬季五輪、04年アテネ夏季五輪に出場。関選手は橋本五輪担当相とともに1988年のカルガリー冬季五輪、同年のソウル夏季五輪で戦った。

    長野冬季パラリンピックのアイススレッジスピードレース女子1500メートル(LW11)で金メダルの土田和歌子選手=1998年3月9日撮影

     男性は陸上100メートルの元日本記録保持者、青戸慎司選手だ。ソウル夏季五輪で陸上400メートルリレー、92年バルセロナ夏季五輪で同種目と100メートルに挑み、リレーで6位に入賞した。陸上男子400メートル障害の金メダリストのエドウィン・モーゼス選手(米国)がボブスレーに挑戦したことに影響され、日本のボブスレーの連盟が98年長野冬季五輪の有望選手を発掘するために実施した公募テストを受け、全日本入りした。長野五輪では陸上で培ったスピードと瞬発力で、ボブスレー4人乗りで16位となった。

     「五輪の申し子」とも言われた橋本五輪担当相は冬季は84年サラエボから、カルガリー、アルベールビル、リレハンメルと4大会連続で出場。夏季は88年ソウルから、バルセロナ、アトランタと3大会連続、夏冬合わせて計7回の出場を誇る。アルベールビルではスピードスケート1500メートルで銅メダルを獲得し、日本人女子初の冬季五輪メダリストとなった。95年には参院議員に初当選し、翌年の五輪では現役国会議員のオリンピアンにもなった。競技選手を引退後は、日本スケート連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)理事などを歴任し、10年バンクーバー冬季五輪で女性初の選手団長を務めた。

     64年の前回東京五輪の開幕5日前に生まれ、開会式の国立競技場で点火された聖火に感動した父親から「聖子」と名付けられたというエピソードは過去にも報じられている。北海道出身で牧場の実家の凍った池で幼少の頃からスケートを楽しんだ。小学1年の時に札幌冬季五輪(72年)を見たのがきっかけで、スケートで五輪を目指し、夏冬五輪計7回出場という金字塔を打ち立てた。自転車競技を目指したのは「夏のトレーニングに自転車を取り入れており、スケートと使う筋肉が似ている。世界的にもスケートのチャンピオンが自転車に転向して夏冬五輪で活躍していた」からだという。

     一方、パラリンピックの主な選手は、夏冬パラリンピックに計7回出場している現役の土田和歌子選手が有名だ。長野冬季で、氷上をソリで走るアイススレッジスピードレースの1000メートル、1500メートル、アテネ夏季車いす陸上5000メートルでそれぞれ金メダルを獲得。夏冬両大会で金メダリストになったのは日本人で初めてだ。男子は左脚が義足の陸上の山本篤選手が夏冬計4回のパラリンピックのうち、08年北京と16年リオデジャネイロの両夏季の陸上走り幅跳びで銀メダル。18年平昌冬季ではスノーボードに挑んだ。昨年11月の陸上世界選手権走り幅跳びで3位に入り、今年夏の東京パラリンピック代表に内定している。

     五輪・パラリンピックで夏冬出場した足跡は、歴史に刻まれる。【関根浩一】

    関根浩一

    東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。