メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ダムと生きる~老舗旅館の跡取り青年の挑戦

(上)なぜ青年はダム湖に沈んだ老舗旅館に養子に入ったのか あの八ッ場ダムの今

八ッ場ダムを眺める樋田勇人さん=群馬県長野原町の八ッ場ダムで2020年1月23日午後2時18分、西銘研志郎撮影

 民主党政権下で「コンクリートから人へ」の象徴として工事が一時ストップした八ッ場ダム(群馬県長野原町)が今春、稼働する。計画から68年。地元住民は国策に翻弄(ほんろう)されてきた。かつてにぎわいをみせた旧川原湯温泉街はダム湖に沈み、やむなく古里を離れた人も少なくない。そんな中で、代替地に移った創業360年の老舗旅館に養子に入り、「15代目」として新たなスタートを切った青年の姿を追った。

   ◇  ◇

 そそり立つ巨大なコンクリートの壁にせき止められたダム湖が青々とした水をたたえている。八ッ場ダムは今、4月の稼働に向け、最後の試験湛水(たんすい)の段階に入っている。

 それを見下ろす高台の造成地には新築の旅館がぽつぽつと建つ。「今ある旅館の多くは、ようやく移転が一段落し、やっと宿の営業を本格的に始めるようになったところです」(地元関係者)。旧川原湯温泉街は移転前、最盛期には20軒ほどの旅館が軒を連ねたが、新天地で営業を続けるのは現在5軒しかない。

 その一つ「山木館」は、創業が江戸時代の寛文年間(1661~73年)と伝わる。その跡取りとして5年前、養子に入ったのが樋田勇人さん(25)だ。「かつてダムで町が分断したのは知っているが、それは昔の話。今の人はダムを受け入れて生きていくことを真剣に考えていかないといけない」と語る。

   ◇  ◇

 八ッ場ダムの歴史を振り返ってみたい。

 「ここにダムを造ります」。長野原町にやってきた建設省(当時)幹部が住民たちにこう宣言したのは1952(昭和27)年5月16日のことだった。その5年前の47年に猛威を振るったカスリーン台風は関東1都5県で死者1100人を出した。建設省の計画は、治水・利水のために町を流れる吾妻川をせき止めてダムを造るというものだった。

 当然のようにわき起こった水没地区の住民たちの反対闘争は、やがて「絶対反対」と「条件付き賛成」に二…

この記事は有料記事です。

残り877文字(全文1677文字)

おすすめ記事
広告
毎日新聞のアカウント
ピックアップ
話題の記事

アクセスランキング

毎時01分更新

  1. 東京都、新たに130人以上感染 累計1000人超え 新型コロナ

  2. 緊急事態宣言「非常に切迫」 西村経済再生相、東京の118人感染判明受け

  3. 「要請」なのに罰則? ドイツから帰国した研究者が日本の「水際対策」に感じた違和感

  4. 児童手当受給世帯、子供1人につき1万円支給へ 政府コロナ緊急経済対策

  5. 医療従事者153人の感染判明 院内感染も発生 医療崩壊の懸念 新型コロナ

編集部のオススメ記事

のマークについて

今週のおすすめ
毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです