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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「声を出しても認めてもらえない。心が折れた」落胆する原告 原爆症認定訴訟敗訴

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原爆症認定をめぐる上告審判決を受けて記者会見する原告の内藤淑子さん=東京都千代田区で2020年2月25日午後5時48分、玉城達郎撮影
原爆症認定をめぐる上告審判決を受けて記者会見する原告の内藤淑子さん=東京都千代田区で2020年2月25日午後5時48分、玉城達郎撮影

 原爆症の認定を巡る残された懸案だった「要医療性」を巡り、最高裁は25日、経過観察中の被爆者に厳しい基準を示して原告3人の原爆症を認めないとする判決を言い渡した。司法に救済を求め、法廷で争ってきた原告からは「生きている間に解決をと願ってきた。心が折れた」と落胆の声が漏れた。

黒い雨浴びて歩いた8月6日

 午後3時、最高裁第3小法廷。生後11カ月の時に広島で被爆した内藤淑子(としこ)さん(75)は傍聴席で判決の主文を聞いた。「残念です。母の顔が浮かびました」。閉廷後、最高裁前に集まった支援者らを前に、涙ながらに語った。

 被爆の記憶はない。「私と一緒にいたんだよ」。母フミコさんがいつも語ってくれた。

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【広島・長崎原爆】

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