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東京へ ともに歩む

毎日新聞

プレミアリーグ東京大会の組手女子68キロ超級2回戦で、ポイントを奪い喜ぶ植草歩。試合中も笑みが絶えない=東京・日本武道館で2019年9月7日、喜屋武真之介撮影

Together

心の壁破ったメンタルコーチの“魔法の言葉”

 東京オリンピックで新競技となる空手には、金メダルを期待される女子選手がいる。組手女子68キロ超級の植草歩(27)=JAL。全日本選手権4連覇、世界選手権優勝の経験があり、人気、実力とも空手界ナンバーワンだが、大学時代、どうしても勝てない先輩がいた。その壁を破ったキーワードは「メンタル」。あるコーチがかけた魔法の言葉とは。【松本晃】

 2015年12月の全日本選手権組手女子決勝。畳の上で、その先輩と向き合った。相手は同じ大会で2年連続で敗れている12年世界選手権女子68キロ級優勝の染谷香予(28)=テアトルアカデミー。いつもは試合中険しい表情になる植草だが、その時は笑っていた。

2017年の沖縄での国際大会で金メダルを獲得後に記念撮影する植草歩(左)と鈴木颯人さん=鈴木さん提供

 「子供たちに、空手は楽しいと伝えたいと考えました。試合をするうちにどんどん楽しくなって、決勝は丸1試合“ゾーン”に入っていました」。“ゾーン”とは、集中力が研ぎ澄まされ、プレーの精度が飛躍的に高まる状態のこと。これまで勝負弱かった終盤に得意の突きが決まり、初優勝を果たしたのだ。

 難敵を倒すカギは「空手を楽しむこと」。そこに導いたのが、メンタルコーチの鈴木颯人さん(36)だった。植草は13年に関東学生体重別選手権で敗れた後、スマホでツイッターを見ていたとき、ある投稿が目に留まった。

 「この負けには意味がある」。敗戦から学ぶ重要性について、鈴木さんがそう書いていた。すぐにメッセージを送り、相談に乗ってもらうようになった。東京五輪代表を目指すため、社会人になった15年にはコーチ契約をお願いし、本格的に指導を受け始めた。

「答えは選手の中にしかない。僕はそれを引き出す」

 植草が鈴木さんと対話する中で気づいたのは、自分が大舞台で余裕を失っていることだった。鈴木さんは本番で自分の力を発揮するコツについて、こんな魔法の言葉をかけた。

 「思い込みのふたを外すこと」

 武道の側面も併せ持つ空手。植草には、気を張って真剣勝負しなければならないという思い込みがあった。精神的な余裕を生み出すため、試合での意識を「楽しむ」ことに切り替えた。そのスイッチが笑顔。今まで苦しかった全日本の舞台でも伸び伸びと戦えた。全日本優勝をきっかけに自信をつかみ、16年の世界選手権で優勝して飛躍した。

 鈴木さんがメンタルコーチを目指したのは、自身のうつ病がきっかけ。学習塾の社員だった11年に激務から体調を崩し、病院で診断された。そこから脳科学を学び、運動療法を取り入れたことで復調。スポーツ推薦で入った高校の野球部で挫折した経験もあり、スポーツ選手を精神面で勝利に導くメンタルコーチを目指した。専門学校に2年通い、専門書も読んで指導法を確立。「答えは選手の中にしかない。僕はそれを引き出すだけです」。鈴木さんの指導の特徴は正解を押しつけないことにある。

 現在約15万人いるツイッターのフォロワー経由で出会った選手を中心に、約30人と契約。プロ野球DeNAの山下幸輝ら、プロで活躍している選手も多い。

心を整えて試合に送り出す

 植草は現在、国際大会で獲得したポイントで競う東京五輪の女子61キロ超級代表争いで染谷に約1358ポイント差をつけてリードしている。2月28日開幕のプレミアリーグ・ザルツブルク大会(オーストリア)で優勝すれば、代表に決まる。鈴木さんは今も植草とは試合の前後を中心に面談を行い、対話を重ねる。課題や悩みを聞き、心を整えた状態で試合に送り出す。「ブレーキを緩めるのが僕の役割」と鈴木さん。東京五輪まであと5カ月。歩みを止めることなく、寄り添い続ける。

松本晃

毎日新聞東京本社運動部。1981年、神奈川県生まれ。住宅メーカーの営業を経て、2009年入社。宇都宮支局、政治部を経て16年10月から現職。柔道、空手などを担当。文学部心理学科だった大学の卒論は「電車の座席位置と降りる早さの相関関係」。通勤に一時間半の今に生きているような、いないような。