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令和のジャーナリズム同時代史

元社会部長の小川一が、ジャーナリズムをめぐる令和の事象について、平成や昭和の教訓を振り返りつつ、その課題を展望します。

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令和のジャーナリズム同時代史

(8)ヤフーと新聞

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ヤフーニュースの始まりを告知した1996年7月15日付のヤフーのプレスリリース
ヤフーニュースの始まりを告知した1996年7月15日付のヤフーのプレスリリース

 ヤフーと新聞業界の売り上げの推移を比べると、新聞業界が受けた影響の大きさがわかります。今から約20年前の1998年、新聞業界の売り上げは2兆4900億円ありました。それが2018年は1兆6619億円となり、8000億円以上も減らしています。これに対し、ヤフー(現在の社名はZホールディングス)は1998年の12億円から8971億円へと大きく売り上げを伸ばしました。あくまで数字だけで単純に比較すると、ヤフーが伸ばした数字は、20年間で新聞業界が失った分をそっくり上積みしたものと同じになります。

 こうしたこともあって、新聞の凋落(ちょうらく)は、ヤフーにニュースを提供したためだとする指摘が根強くあります。それについて私の考えは、当たっている部分もあるものの、当たらない部分も相当にあるというものです。これについては、また機会を改めて述べたいと思います。それではなぜ、新聞はヤフーにニュースを提供するようになったのかを振り返ってみます。

 ヤフーへ最初にニュースを提供した新聞は、毎日新聞です。それは、1996年7月からでした。毎日新聞は、インターネットの登場によってメディアは激変期を迎えるとみて、マルチメディア戦略を積極的に進めていました。その頃、脚光を浴びていたキャプテンシステムにもいち早くニュースを配信しました。

 当時の毎日新聞は、パソコン通信の「ニフティサーブ」や「PC-VAN」へのニュース配信を主要事業として位置づけていました。ニフティサーブやPC-VANは、電話回線を使ったインターネット接続をもとにサービスを展開していました。ウィンドウズ95を使っていた経験のある人は「ピーヒャララ」という電話回線独特の接続音を覚えていると思います。電話回線の利点は、その使用状況から毎日新聞のニュースを見た時間が正確に記録され、電話料金と一緒に記事閲覧料金を請求できることでした。いわば完璧な課金モデルです。当時のパソコンユーザーは「ニュースは有料」の意識が明確だったと思います。

 そこに、アメリカで脚光を浴びていた本家ヤフーの日本版としてヤフー・ジャパンが設立され、新たなニュース配信を求めてきました。当時のヤフーは、みんなが「ヤッホー」と誤読したという本当に小さな存在でした。毎日新聞は、マルチメディア戦略の一環としてニュースの配信先を増やす選択をしました。ただし、基幹事業はあくまでニフティサーブやPC-VANです。記事ごとに料金を支払ってくれているユーザーが不利益を被らないように配慮しました。ヤフーのサイトで見せるのは、各ジャンル最新のニュースのうち7本に限定する▽アーカイブにはしない--などの制限を設けたのです。毎日新聞はシャープの「ザウルス」などにもニュースを配信していましたが、ここでも本数などの制限をしていました。

 この頃から、次々とニュースサイトが誕生します。大きな影響力のあったNTT系の「グー」をはじめ、住友商事系の「ライコス」、伊藤忠商事系の「エキサイト」、デジタルガレージの「インフォシーク」、東芝系の「駅前探険倶楽部」などです。さらに毎日新聞をはじめ各新聞社がニ…

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