メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ALL FOR 2020

東京へ ともに歩む

毎日新聞

東京・わたし

「スターは私じゃいけない」自転車世界選手権10連覇・中野浩一さん

 かつて自転車の世界選手権で10連覇を果たし「世界の中野」と称された中野浩一さん(64)。日本自転車競技連盟(JCF)理事を務め、2016年10月からは選手強化委員長(現在はトラック強化の委員長)に復帰して日本代表の強化に携わっています。オリンピックに向けての思いや競輪界の将来の展望について語ってくれました。【聞き手・藤田健志】

 ――強化委員長の復帰にはどういういきさつがあったのでしょう。

 ◆12年のロンドン五輪でも強化を担当していました。一度やめましたが、16年のリオデジャネイロ五輪での成績が芳しくなく、その頃からコーチの必要性を感じていたので、当時JCF会長の橋本聖子さんと話し合いました。候補を挙げる中でブノワ・ベトゥ氏に短距離のヘッドコーチを依頼することを決めました。日本競輪学校は、日本競輪選手養成所と名前が変わりました。選手を育てる必要があり、競輪を統括するJKAとJCFの両方に携わっている私がもう一度、強化の担当に就任しました。

記者の質問に答える日本自転車競技連盟の中野浩一選手強化委員長=東京都港区で2020年2月17日、藤井達也撮影

 ――ベトゥ氏の指導の特徴は。

 ◆リオ五輪では中国代表のヘッドコーチとして、女子チームスプリントに金メダルをもたらしました。以前はロシアやフランスでも代表チームを率いていました。私は昔から監督は選手と同じ思いでないといけないと思っています。野球でも選手が判定に怒ることがありますが、監督はパフォーマンスでも選手の味方をしないといけません。ブノワは判定に対してクレームをつける時に、怒ったような仕草をする。こういう熱い人間が日本選手に必要だと思いました。

 ――ベトゥ氏の就任は着実に結果につながっています。

 ◆世界選手権の男子ケイリンで、18年に河端朋之、19年は新田祐大がともに銀メダルを獲得しました。かつて競輪選手は普段のレースに出ながら、合間に日本代表の合宿をやっていました。しかし、ブノワは五輪会場の伊豆に選手を住まわせて徹底してトレーニングを行っています。自転車に乗る時間も少なくして、筋力トレーニングなどでメリハリをつけています。選手の競輪への出走回数は減っていますが、体制も整ってきて、国際自転車トラック競技支援競輪を各地で実施して、収益金から選手たちに支援を行っています。

「オリンピック出場できていれば、メダルは取れた」

 ――中野さんは世界選手権では前人未到の10連覇を達成しました。

 ◆他の選手よりちょっと速く走れただけですが、21歳の時にあった1977年の世界選手権で金メダルを初めて獲得しました。日本で競輪は48年に始まりましたがイメージが良くなく、昔は堂々と職業は競輪選手と言えませんでした。当時選手会の事務局長をやっていた西栄一さんを中心に、競輪をメジャーにしたい思いがありました。競馬など他の公営競技には世界選手権はないので、競輪を世界選手権の種目にしたい考えがありました。私の勝利が続くことで日本の競輪選手は強いと認知され、80年の世界選手権で正式種目に「ケイリン」が採用されました。

 ――ケイリンは00年シドニー五輪でも採用。日本発祥のスポーツでは柔道以来36年ぶりの出来事でした。

 ◆柔道もルールが変わってきたように、競輪もヨーロッパで横文字の「ケイリン」として認知されるようになりました。五輪に競輪選手の参加が認められるようになったのは、私が引退した4年後の96年。出場できていればメダルを何個か取れていたと思います。シドニーではペーサー(ペースメーカー)を務めました。五輪は小さい頃から出たいと思っていましたが、こんな形になるとは。ペースを速めにしたら面白いレースになると思いましたが、選手には不評でした。

日本自転車競技連盟の中野浩一選手強化委員長=東京都港区で2020年2月17日、藤井達也撮影

「トラックだけでも二つぐらい金メダルを」

 ――東京ではケイリン種目で金メダルの思いが強いようですね。

 ◆それは当然、自分の仕事だから認知されたい気持ちは強いです。五輪王者が生まれて公営競技の競輪のトップにいるとなれば、めっちゃ速いから競輪場に見に行こうとなり、車券を買う人も増えて売り上げアップにつながります。私が現役の時は競輪場の入場者はいつも気にしていました。

 ――競輪をメジャーにしたいということですね。

 ◆私の持論は日本一は世界一にはなれないけど、世界一は日本一になれる。五輪に出て活躍し、その後に国内競輪でも活躍してほしいです。競輪で走っていた方が小銭を稼げますが、もっと先々のことを見て大きな夢をみてほしい。スターは私じゃいけない。私を超える選手が出てこないと競輪界が盛り上がりません。

 ――東京五輪への期待を教えてください。

 ◆92年のバルセロナ五輪から解説を始めて今回が8回目の五輪です。アテネでは男子のチームスプリントが銀メダルを取りました。金メダルがかかるレースになると、緊急にテレビ中継が生放送に切り替わったぐらい注目が集まります。2~3年前はワールドカップや世界選手権で選手が「金メダルを取ります」と言ったら、何を言っているんだという雰囲気だったが、今は堂々と言ってもおかしくなくなってきました。それだけ日本チームのレベルが全体的に上がっています。あんまり言うと選手にプレッシャーになるかもしれませんが、できればトラックだけでも二つぐらい金メダルがほしいですね。

なかの・こういち

 元競輪選手。1955年11月14日生まれ、福岡県久留米市出身。高校卒業後に競輪選手を目指し、75年にデビューすると18連勝。80年には日本のプロスポーツ選手として初めて年間獲得賞金が1億円を突破した。77年にベネズエラのサンクリストバルであった世界選手権のプロ・スクラッチ(現在のスプリント)に出場し初優勝。その後、前人未到の10連覇を成し遂げ「ミスター競輪」「世界の中野」と呼ばれた。競輪では92年に引退するまで通算1236レースで666勝。引退後は自転車競技の発展に尽くすため、スポーツコメンテーターとして活躍。2006年4月紫綬褒章を受章。現在はJKA顧問と日本自転車競技連盟理事を務める。

藤田健志

毎日新聞大阪本社運動部。1981年、熊本市生まれ。2005年入社で松山支局、学研・宇治支局などを経て11年からスポーツ取材に関わる。大阪や名古屋でプロ野球、アメリカンフットボール、大相撲などを担当。趣味はスポーツや歴史を題材とした漫画本収集。