“テニスの妖精”波乱万丈 シャラポワ引退表明 元世界1位、ドーピングで暗転

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2005年の東レ・パンパシフィック・オープンの記者会見で笑顔を見せるマリア・シャラポワ選手(右)。左は杉山愛さん=小座野容斉撮影
2005年の東レ・パンパシフィック・オープンの記者会見で笑顔を見せるマリア・シャラポワ選手(右)。左は杉山愛さん=小座野容斉撮影

 女子テニスの元世界ランキング1位のマリア・シャラポワ選手(32)=ロシア=が26日、米雑誌(電子版)のエッセーに寄稿する形で引退表明した。「私のテニスは山あり谷ありと回り道ばかりだったが、山頂からの眺めは信じられないほど(素晴らしいもの)だった」と心境をつづった。美貌と華麗なプレーから「妖精」と評されて脚光を浴びた一方、長年続いた肩の痛みと闘い、さらにドーピング違反となるなど波瀾(はらん)万丈の競技人生だった。

 世界ランキング373位で引き際を決断した。「テニスにさようならを告げます」。シーズン途中での突然の引退表明は世界に衝撃を与えた。「テニスは私に世界を見せてくれ、自分自身を試し、成長を測るための手段でもあった」と4歳から始めた競技生活を振り返り、「次の人生をどう選んでも山を押し進み、登り続けます」と記した。

「氷上の牛」必死に鍛えて赤土対応

 1986年にウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故当時、両親は原発に近い旧ソ連のベラルーシで暮らしており、胎内被ばくを心配して移り住んだシベリアで生まれた。プロになるため父とともに9歳で渡米し、フロリダ州の名門アカデミーで腕を磨いた。

 14歳でプロデビューし、17歳で臨んだ2004年のウィンブルドン選手権で4大大会を初制覇。翌年には初の世界ランキング1位に立った。その後は右肩を手術するなど低迷期もあったが、4大大会通算で5度優勝した。思うように動けず、自らを「氷上の牛」と称したほど苦手としたクレー(赤土)もフットワークを磨いて克服して輝きを取り戻した。

 16年全豪オープンのドーピング違反で1年3カ月の資格停止処分を受けてテニス人生は一変。復帰後も肩の痛みからショットに力強さは戻らなかった。今年1月の全豪オープンは1回戦敗退し、引退の決断に至った。

 原発事故の後遺症に苦しむ若者の支援に取り組み、東日本大震災で被災した子供たちを励ますためテニスで交流もした。188センチの長身で、ファッションモデルとしても活躍した。

杉山愛さん「立派なプロ。輝いてくれるはず」

 女子テニスで元世界ランキング1位のマリア・シャラポワ選手が現役引退を表明したことを受け、元プロ選手…

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