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母校をたずねる

水戸一高 「粘り強い対話の原点」 公明党代表・山口那津男さん=1970年度卒

インタビューに答える公明党代表の山口那津男さん=東京都千代田区で2020年2月5日、根岸基弘撮影

 幕末維新の水戸藩の先覚者の気風に通じると言われている校是「至誠一貫」を生涯の座右の銘にしている卒業生が少なくない茨城県立水戸第一高校ですが、公明党代表の山口那津男さん(67)=1970年度卒=もその一人です。「良くも悪くも謹厳でイデオロギッシュな土地柄の水戸で強い精神性を学んだ」と振り返る山口さん。「真心を一筋に貫き通す」というこの言葉をめぐる若き日々の記憶を振り返っていただきました。【本多健】

 一高入学前、茨城大教育学部付属中学時代はブラスバンド部でした。楽器はトロンボーン。ソフト、ハードにわたる広い音域に魅せられ、一高でも続けようとしたら、歴史のある学校なのになぜか吹奏楽部がありません。音楽への思いを断ち切れず、軽音楽のコンクール出場を目指し、中学からの仲間など有志で練習したりしていました。そんな思いを披露する絶好の機会が高校野球予選大会の全校応援でした。

 鳴り物がないと格好がつかないということで、経験者をかき集めたにわか楽団です。必死に音合わせの練習をして、本番にのぞみました。戦前からの校歌は、旭輝く日の本の、光栄(はえ)ある今日のそのもとは……といったなかなかの軍歌調で、戦後は問題視する教員や生徒が現れ、変更も検討されますが、散々議論した末に結局はそのまま。このあたりも議論好きな一高らしい話です。中学時代も1学年下だった柿木厚司君は今はJFEホールディングス社長ですが、高校でも野球部だったから、僕の演奏を聞いたかもしれません。

 「第二校歌」も思い出深いですね。大正時代、講演内容を問題視され、辞任に追い込まれた菊池謙二郎校長を慕う生徒が、復職を求めて授業を放棄する事件が起きた際に歌われたとされています。こちらは、那珂の流れはいや早く、迷雲とざす水城の……といった哀感ただよう歌詞で、幕末以降の、反骨と自由を求める水戸の歴史と気風を象徴しているように思えました。

     ◇

 気象庁職員の父秀男が、那珂湊(現ひたちなか市)の県の測候所を経て、日立市の天気相談所の所長に転職した関係で、高校まで日立で暮らしました。国内外の技術者から労働者までさまざまな人々が住み、見ず知らずでも協調や助け合いが必要な土地柄でした。

 一方の水戸は、幕末から明治にかけて、水戸藩の方向性をめぐり、市街戦をするほどの激しい派閥対立があった歴史があり、論争をいとわない風土といえます。その伝統も多少は影響したのか、当時の一高は激しい学園紛争の時期でした。校舎のガラスが割られたり、集会で先生が批判されたり、ホームルームの議論も壮大なテーマが少なくありません。アメリカの宇宙開発がテーマになったときは、「軍需産業に結びつく」という主張に対し、「いや、技術転用され、生活の利便性を高めている」と反論が出たり、論争も白熱していましたね。

 ただ、すべてが侃々諤々(かんかんがくがく)の議論ばかりだったわけではなく、クラスメート共通の思い出もあります。当時、学苑祭に向けて、沖縄返還交渉の過程をオリジナルの裁判劇にする話になり、私は全体の進行役を任されました。米軍基地を抱える沖縄の実情を裁くという方針になり、裁判所のセットを作ったり、照明係は街の劇場で練習したり、準備に追われました。

 そして本番のクライマックス。検察官役が傘を転用した棒で机を激しくたたくシーンがあるのですが、たたきどころが悪く、傘の柄が外れて客席にポーンと飛んでいってしまうハプニングが起きました。「危ないじゃないか!」と観客が怒りだし、これは困ったことになったと思ったところ、検察官役の生徒が全くのアドリブでこう叫びました。「沖縄の…

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