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東京へ ともに歩む

毎日新聞

北京パラリンピックの卓球女子シングルス決勝でサーブをするナタリア・パルティカ選手=2008年9月10日、小出洋平撮影

オリパラこぼれ話

五輪にも出場 パラアスリートの挑戦

 パラリンピアンがオリンピックにも出場を果たしている。新聞記事などから調べてみると、強じんなチャレンジ精神を兼ね備え、ボーダーレス(境界のない)の戦いをする選手は世界でも珍しい。だが、現役の中には今年夏の東京パラリンピックと同五輪の出場を目指す選手もいる。

     障害のある右腕のひじの内側にうまく球を挟んで、起用にトスをあげてサーブを繰り出す卓球女子のナタリア・パルティカ選手(ポーランド)は、2000年シドニーから16年リオデジャネイロまでパラリンピックに5大会連続で出場した。08年北京からは五輪でも3大会連続で戦ったつわものだ。生まれつき右前腕部がなかったパルティカ選手は7歳から卓球を始め、11歳の時、シドニー・パラリンピックでデビュー。打球の速さは他の選手を寄せ付けず、04年アテネ・パラリンピックからシングルス(立位)で4連覇している。前回のリオ五輪では、団体1回戦で日本と対戦。ダブルスで日本の福原愛、伊藤美誠両選手と戦い、敗れたもののコースを突いた打球やスマッシュで日本選手を翻弄(ほんろう)した。「(卓球が)努力すること。諦めない心を教えてくれた」とテレビの取材で語ったパルティカ選手。8月に開幕する東京パラリンピックで5連覇の偉業を狙う。

    リオデジャネイロ五輪のアーチェリーのランキングラウンドで矢を射るザハラ・ネマティ選手=2016年8月5日、和田大典撮影

     イランの女性初の金メダリストに輝いたアーチェリーのザハラ・ネマティ選手もパラリンピックと五輪の東京大会代表を狙っている。ネマティ選手は交通事故で脊髄(せきずい)を損傷し車いす生活になったが、ロンドンとリオのパラリンピックで2連覇。リオでは五輪にも出場し、開会式では車いすで旗手を務めた。イラン国民から人気があり、ネマティ選手の活躍がイラン女性の社会進出のきっかけをつくったと言われている。

     また、パラリンピックで優秀な戦績を残しているのは、既に引退した競泳女子のナタリー・デュトワ選手(南アフリカ)。17歳の時にバイク事故に遭い、左脚の膝下を切断したが、事故から6カ月後には水泳の練習を再開したという。アテネから3大会連続でパラリンピックに出場し、計13個の金メダルを獲得した。北京五輪では遠泳のオープンウオーター(10キロ)で16位になった。

     男子では先天性の障害により生後11カ月で両脚の膝下を切断した義足の陸上短距離走者のオスカー・ピストリウス選手(南アフリカ)が、アテネ、北京のパラリンピックで計4個の金メダルを取った。ロンドンのパラリンピックと五輪でも活躍。パラリンピックの400メートルなどで金2個、五輪は同種目で準決勝に進出したほか、1600メートルリレーでアンカーを任された。

     他にも射撃やアーチェリーなどのパラ選手が五輪に出場しているが、数は少ない。

     日本では18年平昌冬季パラリンピックの男子スノーボード金メダリストの成田緑夢(ぐりむ)選手が、東京パラリンピックの陸上走り高跳び代表に挑戦。24年パリ五輪には射撃で目指す意向を表明している。「五輪とパラリンピックにそれぞれ夏、冬両方出場するのが夢」という成田選手。実現に周囲の期待が高まる。【関根浩一】

    関根浩一

    東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。