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ベルリン映画祭便り

諏訪敦彦監督インタビュー・前編 私がフランスで映画を作るわけ 韓国にできて、日本にできないこととは

左から、諏訪敦彦監督、女優のモトーラ世理奈さん、女優の渡辺真起子さん。ベルリン国際映画祭で「風の電話」の上映後、フォトコールで笑顔を見せた=ドイツ・ベルリンで2020年2月23日午後11時36分、井上知大撮影

 3月1日に閉幕した第70回ベルリン国際映画祭では、日本映画や日本を描いた作品が各部門で高い評価を得ました。若い世代に向けた映画が対象の「ジェネレーション14プラス」部門で、特別表彰(スペシャルメンション)を受けた「風の電話」の諏訪敦彦(のぶひろ)監督のインタビューを2回にわたってお届けします。近年は主にフランスを拠点に活動しており、今作は諏訪監督にとって久々の日本での撮影でした。インタビューの前編は、海外に拠点を移した理由や、映画を巡る日本と海外の状況などについて聞きました。【井上知大】

 ――ベルリン国際映画祭で上映し観客の反応を見た感想はいかがでしたか。

 ◆初めての経験、感覚だった。すごく温かかったです。モトーラ世理奈が演じた主人公のハルが、観客のみんなにとってまるで親戚の子みたいに感じてもらえたようでした。舞台あいさつでのモトーラの言葉を聞いているときにも、優しく見守ってくれているような雰囲気を感じました。感動しました。

 ――舞台あいさつでは、日本で起こった東日本大震災のこと、津波のことなどがきちんと届くか、当初心配だったと言っていましたが。

 ◆このベルリン映画祭に来ているお客さんだから映画に対する関心が普通よりも高いのかもしれないけれど、震災を描いた物語について、日本よりも深く反応してくれたという印象を持ちました。上映後のQ&Aコーナーでも熱心に質問してくれました。

 ――「風の電話」を映画にしようと考えたきっかけを教えてください。

 ◆僕の企画ではありません。プロデューサーがテレビか何かで「風の電話」のことを知って、ぜひ映画にしたいと考えたところからスタートしました。簡単なモチーフの話ではありませんので、僕一人だったら映画にしようとは思わなかったです。引き受けたときに、さてどうしようかと思ったくらい。見通しがはっきりあったわけではなかった。でも人間の根源的な「祈り」のようなものが発生していくところを撮れるのではないかと思いました。

 日本社会には祈りを受け止める場所はなかなか少ない。ご先祖様にお墓参りくらいはあるかもしれないけれど、宗教的な受け皿もない。いかに生きたらいいかとかを考えるところも。その中で人間には必ず祈らずにはいられない、祈りたくなる瞬間は必ずある。たまたまその受け皿にこの「風の電話」がなったのだと思います。逆に言うとそういう場所がなかったこと。だからあそこに人が来るようになった。人間に発生する祈りのようなものが現れる瞬間を映画にできるのではないかと感じました。それと同時に、今の日本のプロフィル、今の日本の姿を1人の少女を通して見つめていくことができるのではないかと思った。そういう二つの意味があります。

 ロバート・クレイマー監督の「ルート1/USA」(1989年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀賞受賞)という映画があります。主人公の男が(カナダとの国境からフロリダまで続く)ハイウエー「ルート1」をずっと南下していく話で、フィクションとドキュメンタリーが掛け合わされた映画。旅は役者がやっているが、旅の道中で出会う人との交流などはドキュメンタリー的です。ロバート・クレイマー監督は僕が尊敬している監督で、この映画のことは頭にありました。20年近く日本で映画を撮らなかった私でしたが、1人の人間を通して今の日本を見てみたいという気持ちになりました。

 ――どうして長く日本で映画を撮らなかったのでしょうか。

 ◆生活はもちろん日本でしたが、映画を撮るときはフランスでした。単純にお金の問題です。日本で映画を撮れる状況になかった。日本ではオリジナルな企画で映画を撮るのが非常に難しい状況。もちろん、それほど単純ではないですが、やはり漫画や小説など原作があって、そこにこういうキャストが出演して、ということで商業映画は成り立っています。そうでなければ非常に低予算でやらなければならない。僕は2001年に「H Story」という映画を発表して、これが興行的に成功しませんでした。広島をテーマにした話で難しい作品になってしまった。これで、日本で映画を作ることができる環境ではなくなったなと感じました。なんだかんだ言って、映画は日本においてアート(芸術)というカテゴライズかどうか、明確ではない。

 フランスでは、公的な助成金がそういう映画には出ています。コマーシャルの(商業的な)映画にはそうした資本が入る。フランスはくっきり別れています。日本はそうではない。その中でフランスで公的な助成金を得て映画を作るということが、僕の場合、まだ可能だった。僕の「M/OTHER」(99年)という映画をフランス映画界は知っていてくれたので、公的助成金に申請して機会を得るチャンスがまだありました。フランスの映画振興組織CNC(国立映画センター)という制度です。もちろんこれも多くの人からの申し込みが殺到するので競争率は高いのですけれど、でもなんとかこれまでは何らかの助成は得ることができた。自分には(映画を作るためには)それが一番現実的な選択だった。映画を作る人間というのは、映画を作ることができれば、どこへでも行くわけですよ。ハリウッドの監督もそうだし、ドイツから来たり、いろんな国から来たりしているので、抵抗はなかった。自分にとってフランスは、自分が映画を学んだ場所でもあるし、自分の映画を受け入れてくれた場所でもある。そういう場所なので、フランスで映画を作ることを決断し継続ができました。でも日本でやろうと思うとそれは難しかった。

 ――監督がおっしゃっている日本の状況は、他の多くの映画関係者も言っています。何が必要なのでしょうか。

 ◆フランスと同じことは、韓国ではできたわけです。CNCをモデルにしたKOFIC(韓国映画振興委員会)。CNCの素晴らしいところは税金を使っていないところ。基本的には映画収益の10%を一律に全部吸い上げる制度です。税金を使うと、社会的なコンセンサスを得なくてはならなくなるなど、問題が出てきます。そういう意味ではよくできた制度だと思うのですが、今の日本でこういう制度をやれるかというと、そこで一枚岩になれる業界ではないのが悲しいところ。文化庁の助成金の制度も不十分だとか、いろいろなことが言われていますが、ちゃんと映画業界が言葉を持って「こうしてほしい」とか、「こうするためにはこんな社会的な意義があるのですよ」ということを、映画界の人間が言わなければならない。何もしないで「日本はよくないね」「韓国はいいね」とだけ言っていてもしょうがない。それを説得する言葉を映画(界)の人が持っていないからできていない。

 演劇(界)はそうした言葉を持っています。平田オリザさんのような人がいることが大きいのだと思います。そうして、普通の一般の人にも分かる言葉で、「なぜ演劇が社会的に必要なのか」とかを言うことができたからですよね。それは日本の映画界が作っていかないといけない。今、(映画監督の)深田晃司さんなんかが「独立映画鍋」(深田監督が代表理事を務めるNPO法人)というのをやっていますよね。まだ地道な活動かもしれないけれど、映画業界の中で唯一、インディペンデントな人たちの中に、このような動きが出てきているというのは、若い映画作家…

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井上知大

2013年入社。静岡支局を経て18年から学芸部。テレビ、ラジオなど放送分野に続き、19年からは映画を担当している。

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