メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ALL FOR 2020

東京へ ともに歩む

毎日新聞

東京マラソンで日本新記録となる2時間5分29秒でフィニッシュし、拳を握り締める大迫傑=東京都千代田区で2020年3月1日、久保玲撮影

Together

父が語る「大迫傑」という男

 東京マラソン(1日)で自らの日本記録を塗り替え、8日に東京オリンピック男子マラソン代表に決まった大迫傑(すぐる、28歳)=ナイキ。大学卒業後に所属した実業団を1年で退社し、単身渡米してプロランナーとして活動する国内では珍しいスタイルの原点は、父猛さん(57)の下で育まれた。「望む道は子が自分で決める。親はそれを応援するだけ」と語る父親の記憶を元に、成長の道をたどった。

名前に込めた「傑出した人」の願い

東京マラソンのレース直後のインタビューで涙ぐむ大迫傑。葛藤や重圧を抱えながら結果を出した=東京都千代田区で2020年3月1日、代表撮影

 2019年9月の五輪代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」で、大迫は即代表に決まる上位2人には入れず、「次点」扱いの3位だった。その後のレースでの他選手の結果次第で代表切符を得られる可能性を残したものの、「待つ」のではなく「攻める」ことを選んで東京マラソンに出場。2時間5分29秒の日本新記録で力強く代表切符を手繰り寄せた。そんな息子について、猛さんはしみじみと語る。「いい選択をした。彼が満足のいくことをしてくれれば、僕らも満足。彼が自分で選んで勝ち取ったので何よりです」

 男3人兄弟の次男だった大迫には、傑出した人になってほしいという願いや「強そうな名前」として、「傑」と名付けた。幼い頃は野球や水泳、剣道などに汗を流し、漠然と「五輪に出たい」と夢を見る少年だったという。

東京マラソンで日本新記録を出した大迫傑の自主性を尊重してサポートしてきた父猛さん=本人提供

けが恐れスキー板履かず 徹底した自己管理

 大迫が陸上を始めたのは、小学校6年生の時。地域のマラソン大会で優勝したことがきっかけだった。進学した東京・町田市立金井中には陸上部がなく、猛さんは息子を連れて府中市や江戸川区のクラブチームや指導者を訪ね、練習環境を整えた。中学2年からは、学内に新設された男子陸上部とクラブチームでの陸上漬けの日々をサポートした。

 猛さんによると、大迫は常に競技優先で意識が高かった。「家族旅行中でも『練習がある』と言って途中で一人で先に帰ってしまいました。家族でスキーに行っても『足をけがしたら練習が遅れるから』とスキー板を履かなかったこともあります。コーラもポテトチップスも口にしなかった」と猛さんは振り返る。練習に打ち込みすぎてオーバーワークになり、指導者から注意されたこともあった。一方で、学校の宿題は夕方の早い時間に済ませ、練習時間の確保に努めるなど、昔から自己管理はきっちりしていた。

長野・佐久長聖高時代に全国高校駅伝の1区で集団から抜け出し、先頭を走る大迫傑=2009年12月20日、大西岳彦撮影

「望んだ道を応援するだけ」

 大迫は早稲田大を卒業後、14年に実業団の日清食品グループに進んだが、わずか1年で退社した。その後で渡米したことについて、もちろん寂しさはある。それでも猛さんは「彼がそういう道を望んだら僕らは応援するだけ」ときっぱりと語る。そんな父親に対し、大迫は著書「走って、悩んで、見つけたこと。」(文芸春秋)で、こうつづっている。「僕は幼いときから、両親に『最終的に自分のことは自分で決めなさい』と言われてきました。(中略)それが結果的に良かったと思っています」

 大迫は現在、練習拠点のある米オレゴン州で、妻あゆみさん(31)や長女の優(ゆう)ちゃん(7)、次女の鈴(すず)ちゃん(1)と共に暮らしている。優ちゃんは陸上の大会に参加しており、大迫はストップウオッチを手にタイムを計るなど応援しているが、自主性を尊重して「見守るスタイルを徹底している」(あゆみさん)という。猛さんが貫いた「大迫家の教育方針」は脈々と受け継がれている。【黒川優】

黒川優

毎日新聞東京本社運動部。1990年、埼玉県生まれ。2014年入社。松山支局、神戸支局を経て19年5月から現職。サッカー、ラグビーなどを担当し、現在は主に大相撲を取材。本気で大銀杏を結おうとして、19年夏ごろから半年ほど髪を伸ばし続けていたが、思った以上に周囲からの評判が悪く、やむなく「断髪」した。