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東京へ ともに歩む

毎日新聞

ケニア女子バレー選手たちと勝利を喜ぶ片桐翔太さん(手前左)=ケニアバレーボール連盟提供

Together

東京オリンピック出場内定 JICA指導の途上国

 国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員らが指導する途上国のスポーツ選手たちが、相次いで2020年東京オリンピック・パラリンピックへの出場を決めている。支援している競技は柔道や野球といった日本のお家芸にとどまらず、陸上やパラ卓球など幅広い。協力隊員たちは「途上国が頑張る姿を日本の人たちに見てほしい」と語る。【金子淳】

ケニアに根付く「日本式」バレー

テレビ会議システムを通じてJICAケニア事務所から取材に応じる片桐翔太さん=東京都千代田区で2020年2月6日午後6時28分、金子淳撮影

 1月に行われた女子バレーの五輪アフリカ代表決定戦。ケニアが最大のライバル・カメルーンに勝利した瞬間、協力隊員の片桐翔太さん(32)=ケニア在住=はコートに飛び込み、コーチと抱き合って喜んだ。「号泣しました。大事な場面でやってくれた。選手からは『私たちが勝ったのになんで泣いているの』と言われました」

 片桐さんは19年4月、女子代表チームの指導者として赴任した。驚いたのは、日本式のバレーが根付いていることだった。「ボールに食らいつく姿勢が日本のようなプレーだった。他の国なら取れそうもないボールはあきらめるが、ケニアは拾おうとしていた」。JICAは以前から10人以上のバレー指導者をケニアに派遣しており、歴代の指導のたまものだった。

 だが、選手の多くは基礎的な体力が不十分で、腕立て伏せをできる選手は半分もいなかった。片桐さんは筋力トレーニングを導入し、サーブやレシーブの精度を安定させるように努めたという。

 五輪出場が決まったことで選手たちは給料が上がり、子供たちの憧れのスターになった。「トップチームのレベルが上がれば競技の裾野が広がり、バレーの普及にもつながる」と期待する。東京五輪では予選で日本と対戦予定で、「ケニアってこんなに強いんだ、と知ってもらえるチャンス。東京で彼らの活躍を見せられるのは誇らしい」と意気込む。

キルギスではユニホームも支援

高橋賢人さんがデザインしたユニホームを着るキルギスの陸上選手とポーズを取る高橋さん=本人提供

 大東文化大の選手として箱根駅伝に出場した経験を持つ協力隊員、高橋賢人さん(32)=福島県会津若松市=は1月まで2年間、中央アジア・キルギスで長距離選手を指導した。日本と比べ、練習環境は劣悪だった。道路はでこぼこで、練習器具も少ない。安物のストップウオッチは雨が降ったら壊れたし、国内大会ではビデオ判定にスマホのビデオを使用していた。

 選手たちも貧しかった。母が路上で野菜を売って家計を支える母子家庭の出身者。マラソンの賞金レースに出場し、遠征費用をまかなう夫婦――。ある国際大会では、日本人の出場者が履き捨てたシューズ4足をゴミ箱から拾い、「日本人にもらった」とうれしそうに持ってきた選手もいた。その4足は練習で約80人が使い回したという。「物を大事に使うことを学んだ」と振り返る。

 驚いたのは19年春、ウズベキスタンでの国際大会に同行したときだ。各国の選手がそろいのユニホームで入場する中、キルギスのチームだけバラバラの格好だった。関係者に聞くと「国が陸上に力を入れておらず、資金がない」という。「何とかしなければ」と考え、友人らを頼ってスポーツメーカー「アシックス」の協力を取り付けた。キルギスの国旗を元に自らジャージーとユニホームのデザインを考え、今年1月、選手らに無償で届けられた。

 東京五輪にはマラソンや1万メートルなどで男女3人が五輪出場に内定。高橋さんがデザインしたユニホームを着て走る予定だ。「キルギスに行って、日本がどれだけ恵まれているか痛感した。(物が)なくても生きていける人々が同じフィールドで戦う姿をいろいろな視点から見てほしい」。高橋さんは2年間の活動が評価され、帰国直前に勲章を授与された。

メキシコ・パラ卓球 合言葉は「東京で会おう」

メキシコでパラ卓球の選手と練習する伊藤有信さん=本人提供

 パラリンピックへの出場に導いた協力隊員もいる。メキシコでパラ卓球を指導した元教員、伊藤有信(ゆうしん)さん(66)=青森県八戸市=だ。

メキシコでの活動について語る伊藤有信さん=東京都千代田区で2020年1月27日午後3時59分、金子淳撮影

 メキシコに赴任したのは17年4月。当初は大学3校で卓球の指導をしていたが、途中で大学側の都合で指導する機会が減った。そんなとき、近くでパラ卓球の強化選手が集まっていると知り、「指導したい」と持ちかけた。

 念頭にあったのは、中学時代に同じ卓球部に所属していた友人のことだった。社会人になってからもたびたび卓球を楽しむ仲だったが、友人は50代のころ、転倒事故で車いす生活になった。「彼ともう一度卓球がしたい」。それが伊藤さんの夢だった。「彼がいたからこそ、障害がある人にも教えたいと思った」と振り返る。

 卓球の楽しさは「できないことができるようになること」。パラ卓球はまさにそれを体現していた。「ノス・ベモス・エン・トキオ(東京で会おう)」。スペイン語のそんな合言葉を胸に練習に励み、3人が東京パラリンピックに内定した。「パラ卓球にはラケットを口でくわえる選手だっている。今あるものでどうプラスに持っていくかを学んだ」。車いすの友人も近く、卓球に誘うつもりだ。

JICA、スポーツ支援で延べ4679人を派遣

 青年海外協力隊の派遣が始まったのは1965年。前年に開催された東京五輪を受け、第1陣から柔道や水泳の指導者を派遣した。19年末までに90カ国で、体育指導を含む29競技の指導に延べ4679人が従事した。

 競技別では、体育(1489人)に続いて多いのが野球(647人)。柔道(523人)、バレーボール(311人)と続く。剣道や空手、相撲など日本ならではの競技だけでなく、ハンドボールや水球、スキーなどもある。

 JICAがスポーツ支援に力を入れるのは、健康増進や競技能力の向上だけでなく、大会参加などを通じて民族間の融和や国際平和につなげるという目的もある。11年の独立後も内戦が続く南スーダンでは16年から、JICAの発案で「全国スポーツ大会」を開催。参加者からは「平和と結束を学んだ」といった意見が寄せられたという。

金子淳

毎日新聞東京本社社会部。1980年、千葉県生まれ。2006年入社。北海道報道部、外信部、ニューデリー支局を経て18年から現職。バンクーバー冬季五輪を現地取材した。小中学校では器械体操部、高校では落語研究部に所属。趣味はインド料理を作ること。