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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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両親犠牲の24歳、乗り越えた“過去” 「父さん、母さん、元気にやってるよ」 東日本大震災9年

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丹野晋太郎さん(左)と叔母の坂口幸嘉子さん。両親と祖母の遺影が見守る=岩手県陸前高田市竹駒町で3日、小鍜治孝志撮影
丹野晋太郎さん(左)と叔母の坂口幸嘉子さん。両親と祖母の遺影が見守る=岩手県陸前高田市竹駒町で3日、小鍜治孝志撮影

 一度は縁の切れた母の実家が自分を受け入れてくれたから、今がある。東日本大震災で両親を失った岩手県陸前高田市の丹野晋太郎さん(24)は、そう感謝している。母が駆け落ち同然に飛び出した家から高校に通い、今は会社員として盛岡で暮らす。震災から9年を迎えた11日、両親の写真に「つらいこともあったけど、元気にやってるよ」と報告した。【小鍜冶孝志】

 9年前、丹野さんは中学校で卒業式の予行演習中だった。高台の校庭から町が津波にのみ込まれるのが見えた。不安と寒さで震えながら一夜を明かした。

 翌朝。同級生の親が次々と迎えに来る中、最後まで教室に残された。「早く来て」と祈っていた時、叔母の坂口幸嘉子(ゆかこ)さん(52)が来て「お姉ちゃんたちが見つかるまでうちにおいで」と言った。

 叔母に連れられ、市内の母の実家に向かった。そこには、険しい顔をした祖父の一助(いちすけ)さん(88)がいた。

 父の正嘉さん(当時52歳)と母の勝子さん(同)は中学の同級生だった。祖父は3姉妹の長女だった母が家を継ぐことを期待していたが、2人は駆け落ち同然で結婚し、母は家を出た。祖父は母を勘当し、20年以上敷居をまたがせないまま、震災が起きた。丹野さんはそんな事情を全く知らなかった。

 祖父は母の「忘れ形見」を引き取ることに一度は反対した。でも…

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