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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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「娘が帰ってきた」誕生日に会いに来てくれる親友 津波から止まった時を埋める交流

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田村江久子さん(左)宅を訪れ談笑する只野菜月さん(右)=福島県南相馬市で2020年3月2日、和田大典撮影
田村江久子さん(左)宅を訪れ談笑する只野菜月さん(右)=福島県南相馬市で2020年3月2日、和田大典撮影

 生きていたら、こんなふうに成長していただろうか。東日本大震災の津波で次女の美咲さん(当時17歳)を亡くした福島県南相馬市の田村江久子さん(62)は、娘の同級生だった只野菜月さん(26)=同市=と交流を続けてきた。11日、市主催の追悼式で遺族代表のあいさつに立ち、「空から見守ってね」とハンカチで目頭を押さえながら声をかけた。

 「行ってもいいですか?」。10月25日の美咲さんの誕生日が近づくと、携帯電話に只野さんからメッセージが毎年届く。自宅でごちそうするのは、美咲さんが好きだったハンバーグ。「喜んでもらえっから、作りがいあんのよ」。近況を報告し合って笑った後、見送るのが少し寂しい。

 あの日、市内の勤務先で揺れを感じた。部活が休みだった美咲さんや夫の充さん(当時56歳)と、メールで安否を確かめた。自宅は海から約100メートル。外出していた長女は無事だったが、美咲さんと夫、同居していた母スサエさん(同78歳)は遺体で見つかった。父勝美さん(同83歳)は行方不明のままだ。

 「おかあのマドレーヌ食べて、パティシエになりたいって思ったんだよ」。美咲さんは将来の夢をそう語った。中学生になると、バレンタインデーを前に、家に集まった同級生とチョコレートを作った。田村さんはマドレーヌを焼いた。自分はこれしか作れないのに。娘の言葉は意外だった。

 51歳の誕生日は、手作りケーキで祝ってくれた。美咲さんは中学3年生。「おかあは生クリームが好きだから、いっ…

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