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没後200年・伊能忠敬を歩く

2018年は伊能忠敬が没して200年。ゆかりの地を記者が訪ねました。

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没後200年・伊能忠敬を歩く

/21 盛岡市 北上川で舟橋 日記に特記

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「このあたりに舟橋がありました」と案内してくれた大矢喜久男さん。奥は岩手山=盛岡市で2020年2月15日午前10時50分、広瀬登撮影
「このあたりに舟橋がありました」と案内してくれた大矢喜久男さん。奥は岩手山=盛岡市で2020年2月15日午前10時50分、広瀬登撮影

 水沢宿(岩手県奥州市)と花巻宿(同県花巻市)を経て、伊能忠敬率いる測量隊は1800年6月24日夜、盛岡宿(盛岡市)に到着した。南部家10万石の城下町。「伊能大図」には、天守閣の絵とともに「南部大膳太夫居城」と記される。

 「入口に北上川有、船(舟)橋なり」。忠敬は「測量日記」に特記した。舟橋とは、20そうほどの小舟を横に連ねて川に浮かべ、その上に幅5、6メートルの敷板を渡し人馬を通した仮ごしらえの橋のこと。ちょうど奥州街道が盛岡城下に入る地点にあった。

 「珍しかったので、わざわざ日記に書いたのではないでしょうか」。こう推測するのは、地元で忠敬を研究する大矢喜久男さん(68)。今から四半世紀ほど前、当時、県の釜石土木事務所に勤務していた大矢さんは釜石市内の忠敬の史跡に足を運び、江戸から三陸まで測量の旅をした偉人に思いをはせた。以来、建設会社の技術部長を務める今に至るまで仕事のかたわら、その足跡を丹念に追ってきた。

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