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東京へ ともに歩む

毎日新聞

3大会連続でオリンピック選手団医師を務めた中嶋耕平さん=東京都北区で2020年3月6日、宮武祐希撮影

東京・わたし

オリンピック3回同行の医師・中嶋耕平さん 陰で支えるその仕事とは?

 2008年の北京オリンピックから3大会連続で、日本選手団本部の医師として現地に同行した中嶋耕平さん(53)。慣れない環境の下で最高のパフォーマンスを求められる選手を支える縁の下の力持ちだ。仕事の内容や東京大会への期待を聞いた。【聞き手・柳沢亮】

「競技が全て終わって初めてホッとする」と大会中の苦労を語る中嶋さん=東京都北区で2020年3月6日、宮武祐希撮影

 ――16年のリオデジャネイロ大会では日本選手団本部役員(医務担当)も務められました。どのようなお仕事をなさったのですか。

 ◆まず、選手は大会前に体の状態を調べるため、国立スポーツ科学センター(JISS、東京都北区)のクリニックでメディカルチェックをします。大会中は選手の健康状態を把握し、けがや病気に対応します。オリンピックは日本代表選手団本部の医師が4~5人、トレーナーが2~3人です。また、感染症対策も私たちの役割です。北京大会はPM2・5(微小粒子状物質)などの大気汚染、リオでは(ブラジルで蚊が媒介する)ジカウイルス感染症がありました。非常時には情報が錯綜(さくそう)し、選手が情報の渦に流されて、不安に陥ることがあるので、それを防がねばなりません。

 ――中嶋さんのような本部の医師以外にも、競技団体に専属の医師がいると聞きました。

 ◆本部の医師は主に選手の健康管理や医療全体の統括をします。専属の医師を帯同する競技団体もありますが、それは全体の3分の1もない。出場選手が少ない競技団体などには医師を帯同できない場合が多いため、本部の医師がサポートします。

 ――過去の大会にはどのような思い出がありますか。

 ◆(オリンピックの女子レスリングで4連覇の)伊調(馨)選手がロンドン大会の試合の4日前ぐらいに「(けがを)やっちゃいました」とコーチとともに私のところに来ました。足首が腫れ、まともに試合で戦えないのではないかと思うほどでした。でも、本人に伝えるわけにはいかないので平静を装い、できる限りの治療をしました。けがをすると動揺する選手が多いのですが、伊調選手は一切そうしたそぶりを見せない。腹が据わっていてすごいと思いましたね。過去にも試合直前に負傷した選手がけがを克服して金メダルを取ったエピソードを聞いたことがありましたが、その際の医師の気持ちを味わった気がしました。

 ――現地で感じた課題はありますか。

 ◆日本選手団の場合、競技団体の専属医師は当然その競技に専念するので、本部の医師とあまり関わらず、縦割りを感じます。一方で海外の選手団の医師は横のつながりを持っているように感じる。どちらが良いのかはわかりませんが、運営面でまだ改善の余地はあります。

 ――近年はドーピングの防止も課題です。

 ◆ドーピング問題は日本アンチ・ドーピング機構や各競技団体に設置された専門部署が、積極的に選手を啓発しているようです。私たち(日本選手団の医師)は選手がどのような薬を飲んでいるのか確認するほか、ドーピング検査を受けた回数が少なく、知識も少ない選手を指導します。北京大会の頃と現在を比べると、国際大会に出る機会の多い競技では、若い世代にもドーピングの知識が浸透していると感じます。一方で、いまだに知識が不十分な選手もいて驚かされることがあります。薬やサプリメントの安全性をうのみにすることも危険な時代になってきています。防衛するには、摂取したものをしっかり記録に残すことが必要です。

勝ち負けでなく、健康に生きるためのスポーツの重要性を強調する中嶋さん=東京都北区で2020年3月6日、宮武祐希撮影

 ――選手を教育することが大切ですね。

 ◆選手だけが学べばいいわけではない。医師や薬剤師は当然ながらコーチもきちんとした知識が必要です。これだけ多くの違反事例があると、選手が無意識に摂取する事象も起きているでしょう。子どものころから教育に取り入れることも有効です。医療従事者や教育関係者を含め、社会全体で選手を守る仕組みが大事だと思います。

 ――中嶋さんはどうしてスポーツドクターを目指したのですか? 何かきっかけがあったのですか?

 ◆中学生の頃から道場でレスリングを始めました。将来的には選手を目指していましたが、大きな大会で負けるので、選手としてはダメなのかなと。高校3年生のとき、「医師としてレスリングに関わっていたい」と考え、医学部を目指すようになりました。レスリング選手の夢を捨てきれず、医学部のほかにレスリングの競技環境が整った大学も受けました。でも、先に合格した医学部に進学し、整形外科医になりました。

 東芝病院(現・東京品川病院)のスポーツ整形外科に在籍していた時に、ラグビーや野球などの実業団の医師をやってみては?と打診されましたが、本当にやりたいのはレスリングのチームドクターでした。

 31歳のころ、日本レスリング協会に声を掛けていただき、ようやくチームドクターになりました。当時は遠征の同行にもマニュアルがない。選手がけがや病気になった時に備え、衛生材料も含めて用意しましたが、費用は自腹でした。賃金も安く、ほぼボランティア。また、その頃は病棟を受け持っていました。医師がチーム同行のため1週間以上の休暇を取るのは異常です。周りの医師には苦労をかけました。周囲の理解と競技への愛着があったから続けられました。昔に比べ、今は環境がだいぶ整っていると思いますが、賃金など待遇の面はまだまだ十分とは言えません。

勝ち負けでなく、健康に生きるためのスポーツの重要性を強調する中嶋さん=東京都北区で2020年3月6日、宮武祐希撮影

 ――東京大会に期待することはありますか。

 ◆日本選手がメダルを取るのは非常にうれしい。一方で、大会を通じて国民がスポーツをする意義を感じてほしいです。例えば、1964年の東京大会に参加した選手の体力測定とメディカルチェックが、オリンピック開催年ごとに継続的に行われてきた。その結果、若い時期から十分に運動をしてきた彼らは、現在でも、骨密度や筋力などの運動機能が非常に高いレベルで維持されていることがわかりました。これは超高齢社会を迎えた日本や、これから迎える海外諸国にとっても非常に有用な証拠になると思います。単なる寿命だけでなく、人が健康な状態で長く生きるためにスポーツが非常に有用です。スポーツを始める年齢も重要だと思います。オリンピックを機にそのことに気がついていただけると、とてもうれしいです。

 国内開催は、世間からの注目が非常に高いものです。選手をけがや病気から守ることが大事です。他の大会などと比べても異様な雰囲気になりますから、選手がそれに巻き込まれて本来出せる力が出せなくなることもあります。少しの故障が大きなニュースになって飛び交う可能性もある。医師の役割は、いつもと同じようなペースで治療できる環境作りだと思います。(取材は3月6日に行いました)

なかじま・こうへい

 1967年3月、水戸市生まれ。91年に順天堂大医学部卒業後、東大整形外科医局に在籍。東芝病院(現・東京品川病院)などを経て、2001~04年にJISS契約研究員。11年からJISSスポーツメディカルセンター副主任研究員。日本レスリング協会スポーツ医科学委員長、日本ウエイトリフティング協会スポーツ医科学委員長、日本オリンピック委員会医学サポート部門副部門長を務める。

ことば・国立スポーツ科学センター(JISS)

 スポーツ医科学に関する情報の研究や分析施設、オリンピック強化指定選手など世界を目指す選手のトレーニング施設が整っている。2001年に開所。診療や選手のコンディショニングのサポートを行うスポーツメディカルセンターも設置されている。

柳沢亮

毎日新聞オリンピック・パラリンピック室員。1990年埼玉県生まれ。2013年入社後、新潟支局、東京経済部を経て19年5月から現職。高校時代は野球部に所属し、本塁打数は通算1本(非公式)。草野球の試合にいつ呼ばれてもいいように定期的にグラブを磨いているが、いまだ出番はない。最近の楽しみは、相思相愛の長男と近所の児童館で遊ぶこと。