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命のビザ80年

今年は杉原生誕120年と命のビザ発給から80年の節目にあたる。ビザをめぐり最近の研究から分かってきたことを紹介する。

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命のビザ80年

杉原千畝研究/5 「決断」を支えた信仰

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早稲田奉仕園信交協会の入会者名簿。左から6番目に杉原千畝の署名がある
早稲田奉仕園信交協会の入会者名簿。左から6番目に杉原千畝の署名がある

 セルゲイ・パブロビッチ。1919年から旧満州(現中国東北部)のハルビンで外務省留学生としてロシア語を学び、在ハルビン総領事館と満州国外交部で勤務した若き頃の杉原千畝は、このような“ロシア名”を持っていた。

 杉原は24年、ハルビンに住む白系ロシア人の女性クラウディアと最初の結婚をし、同じロシア正教に入信した。その際、パーベル神父からセルゲイの洗礼名を授けられた。セルゲイは「杉原」の発音と似た響きがある。またロシア人の名前にある「父称」として、神父の名からパブロビッチを与えられた。

 当時のハルビンには革命から逃れたロシアの貴族や軍人らが多く暮らしていた。ロシアの宗教と名前を得た杉原は情報収集などで白系ロシア人社会に食い込み、ロシア通の外交官としてキャリアを積み重ねていった。杉原は帰国後の36年に再婚した幸子さんと生後間もない長男に東京・お茶の水のニコライ堂(東京復活大聖堂)で正教の洗礼を受けさせた。妻子の洗礼名はマリヤとヤコブだった。

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