
IOC総会で、東京開催を訴えるパラリンピック選手の谷(旧姓・佐藤)真海=ブエノスアイレスで2013年9月7日午前10時39分、梅村直承撮影

スポーツの力世界が共感 運命のIOC総会 東京開催決定から7年①
2013年9月7日、ブエノスアイレスのホテル。20年オリンピック・パラリンピックの開催地を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会で、当時のジャック・ロゲ会長が「トウキョウ」と告げた。ホテルの通路でその時を待っていたが、会場の扉が放たれると、招致団やIOC委員が高揚した表情で現れた。誰彼と構わず呼び止め、話を聞いた。

東京電力福島第1原発の汚染水漏れという難題を抱えながら、東京が招致の混戦を抜け出せた勝因の一つは、アスリートたちが口にした「スポーツの力」への共感だった。東日本大震災の被災地を訪れ、交流を通じて感じたスポーツの力を訴えた。

義足でパラリンピック陸上に出場し、震災では宮城県気仙沼市の実家が津波被害に遭った谷(旧姓・佐藤)真海(38)は「私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは東京大会が世界に広めようと決意している価値です」と訴え、あるIOC委員は「日本の人々が協力しあう姿勢に感銘を受けた」と語った。
あれから7年。世界中が新型コロナウイルスの脅威と向き合う空気は、どこか震災後と似ている。自由に活動できずに閉塞(へいそく)感が漂い、不安から周囲への寛容さを失いかけている。厳しい鍛錬や逆境を乗り越え、目標を追い続けるアスリートの言葉は被災者の胸に響き、勇気を与えた。
1年延期を余儀なくされた今、社会のエネルギーとなるアスリートの発信に注目したい。【藤野智成】
2020年東京オリンピック・パラリンピックが、21年夏に延期となった。開催決定からの7年を写真とともに記者が振り返る。
藤野智成
毎日新聞東京本社運動部副部長。1973年、大阪府生まれ。商社からの転職で99年入社。鹿児島支局などを経て福岡、東京の運動部。リオデジャネイロ五輪で取材班キャップを務めた後、津支局デスクを挟んで現職。学生時代はラグビー部でプロップ。スクラムを押されっぱなしの当時は太りたくても太れなかったが、今はやせたくてもやせられず。